KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

中国面白体験記その67<中国文化:中国秘密結社>

<中国文化:中国秘密結社>  2016/04/10

中国ではいまでも秘密結社が盛んとのことですが、それはナゼでしょう?王朝支配は終わりを遂げているし・・・、その理由はいまだに王朝や皇帝にとってかわる人たち(中国共産党)がいるからです。そのために農民一揆は頻繁に起きているのです。↓↓ [ これまでにも何度となく起こっては隠蔽されている中国の農民一揆。 ]

https://www.youtube.com/watch?v=PjIdYlZKOjw&feature=player_embedded#t=0

国際国家の仲間入りをしたい中国としては、何が何でも隠したいところですね。しかし一揆が起きるような国情をまず改善するべきでしょう。もちろん「言うは易く行うは難い」ですけれど。

ところで、中国の現代の皇帝に対抗する勢力があるということ知っていますか?それは「客家(はっか)」という勢力です。欧米系秘密結社も中国には入っていますが、人数的には一万人がいいところだそうですが、この客家の秘密結社の勢力は600万人もいます。しかも彼等客家は名前すらわからない状態で世界中に偏在しているようです。そのアジア系秘密結社は昨日のブログでも紹介しました「青幇(チンバン)」という秘密結社です。客家が青幇を組織したというのが本当のところらしいです。従来の欧米系の秘密結社の考え方ややり方が通用しなくなるともいわれていますが、たしかに頷けますね。

じつは欧米勢力にとって最大の脅威は中国なのですが、厳密に言えば中国の支配階級です。そして中国を支配しているのは、中国共産党ではなく客家(ハッカ)という勢力です。いま一時翳りがみえてきているものの、凄い勢いで成長を続けてきた中国ですが、ここまで経済成長できた裏には、秘密結社の存在があったからといわれています。昨日のブログにも書きましたが、中国は古くから秘密結社が盛んな国で、国を治める王が絶大な権力を持ち、それに抵抗する民たちは秘密結社を組織し地下に潜っていました。さきほどの農民一揆の映像を見ればいかに農民の不満が鬱積しているかがわかりますね。チャイニーズマフィアも秘密結社を由来するものがほとんどです。

中国の父とも言われる、かの「孫文(そんぶん)」も、革命を起こす際にいつも秘密結社に頼っていたそうです(彼はメイソナリーの会員でもありました)。中国共産党を支えているのは欧米の秘密結社ですが、客家パワーと比べると、またアングロサクソン周期説(千賀一生著”ガイアの法則”をお読みください)から言っても、いま支配者の交代劇が着々と進んでいることに違いはありません。

客家とは中国人であって中国人でない。言葉も「客家語」をもち、東洋のユダヤ人ともいわれてます。北方の漢民族が南下してきたのが客家人のようです。特殊な文化を持ち近代中国形成に大きな役割を果たした民族です。客家精神というのがありますが、次のようなものです。

1)強い団結心

2)進取・尚武の精神

3)文化・伝統保持への自信

4)教育の重視

5)政治への高い志向性

6)女性の勤勉性

客家人は裏切らないことで有名です。中国人社会では「裏切り」や「寝返り」は日常茶飯事です。僕が中国で会社を経営していた時も最も気にかけたのは、人選です。こちらがまっとうに接していても通じないことも何べんもありました。

ところで、周恩来という政治家がいましたが、彼は情勢を見ながら自分の主張は一体どこへやらで、あるときは毛沢東派に寝返り、林彪の力が強いとなるとこれにすり寄り・・・・。彼のあだ名は「風見鶏(中国では”牆上草”)。もっとも日本にも欧米にもこういう人はたくさんいますけど。

鄧小平↑↑が客家人であることは知られています。周恩来の風見鶏的態度は、彼を政界に長生きさせることになったのですが、それとは反対に鄧小平の信義を守る頑なな態度は彼を何度も失脚に追いやったのです。しかし、鄧小平への信用は彼に必ず救いの手を差し伸べています。

客家系秘密結社が力を増して、僕が目指している「正直者がバカを見ない世の中」になればいいです。

客家人の分布は、広東省福建省江西省など山間部に多いと聞いていますが、僕をリクルートしてくれたのも福建の人でした。鄧小平は生まれは四川ですが、ルーツは福建、また客家であったためか話す中国語もだいぶ訛りが強かったと聞いています。なにしろ中国人民大衆の前で演説をするときに通訳がついたほどです。僕も福建に行ったときはまるで聞き取れませんでした。あとになって瀋陽の友人に聞いてみたら、彼も同じく福建の言葉は聞き取れないそうです。

たしかに中国がここまで発展してきたのには「フリーメイソナリー」のお陰もありますが、彼等の動機はたんなる商業主義ではなかったのではいでしょうか?本当に中国を豊かな国にしようと想っていたのか!?功労者は隠居してください。

KOSEI

 

中国面白体験記その66<中国文化:道教と中国秘密結社>

<中国文化:道教と中国秘密結社>  2016/04/09

道教は一般的には宗教と言われていますが、民間信仰やら迷信やら民間医療のゴッタ煮に儒教と仏教がスパイスを添えているものなのかもしれません。しかし道教には大切なもう一面があります。それは「秘密結社」です。秘密結社といっても「コーサ・ノストラ(イタリア/シシリアン・マフィア)」のように犯罪的な結社もありますが、政治的なまたは宗教的な結社もあります。そもそも宗教団体は元々閉鎖的な団体なので秘密結社的な性格が強いですね。その他にも「黄金の夜明け団」のように、魔術結社をかねている団体もあります。イルミナティという秘密結社がありますが、一般的にアダム・ヴァイスハウプトという人が創設したといわれています。たしかにヴァイスハウプトがドイツのババリアで創設した団体なのですが、イルミナティとしての運動はその遥か以前1000年以上前から存在していたようです。ダンの「時間の実験」にあるように、各時間の差は質と実体の濃度の差なのです。つまり形として表面に出ていなくても、イルミナティの場合は人間の心の奥深くには光を求める志向性があったのです。これは肉体が滅びても霊は生き続ける、という考えと共通しています。形を持たない、これぞ真実の秘密結社です。誰も見つけることはできないですから。それでいて社会に大きな運動を与える活動はしている。

では中国の場合の秘密結社とは?

この画像は中国の有名な秘密結社「紅幇(ホンバン)」の会員証ですが、1946年に発行されたものです。中国で秘密結社といえばまず上がるのが「紅幇」「青幇(チンバン)」の二つです。この会員証の名前の欄(中央下部)には、じつは日本人の名前が記されています(故人の方ですがモザイクで隠してあります)。日本人が中国に渡り秘密結社・紅幇に入会したようです。しかし中国にはこの代表的な2つの秘密結社のほかにも幾つかの結社があります。なかには存続しているものもあり、現在は活動していない結社もあるとのことです。

中国では皇帝の独裁政治が2000年以上にわたり続きましたが、独裁あれば反動ありで、虐げられた農民大衆により反乱や暴動が専制政治に対して行われたようです。それらの多くは宗教団体が中心になっていたのです。中国道教(中国仙道)の仙人のひとりとして数えられている「張道陵(ちょうどうりょう)」は、道教教団「五斗米道(ごとべいどう)」の創始者でしたけれど、この五斗米道こそ、民衆を反乱暴動に駆り立てていた教団の雄なのです。五斗米道のほかにも白蓮教、太平道、弥勒教、マニ教といった異端宗教が民衆相互を結びつける役割を果たしました。

この民衆相互を結びつける役割を果たした存在がもうひとつありました。それが秘密結社です。上でお話したのも秘密結社なのですが、いまでいう秘密結社というイメージからはちょっと違っていて、あえていうならば「秘密宗教結社」とでもいうべきものですね。秘密結社のことを中国語では「会党」とか「秘密会党」あるいは「幇会」といいます。その数はものすごく多くいま現在でもたくさんの「会党」が存在しています。僕はある友人の紹介で「××幇」の人と知り合いました。彼は東南アジアでも事業を展開しており有力者です。彼は僕に「幇」への加入を勧めてきましたが、僕はその「幇」は非合法な事業もやっていることを知っていたので、お断りしました。下手なごまかしの理由は話さず「あなたのやっている事業は非合法なものがあるが私はそういうものはやらない」といって断ったのです。ここでも「相手に自分の考えを伝える」ことが大切だということがわかります。中国語の勉強!頑張りましょう!

三合会の儀式の時の香主

紅幇、青幇以外で有名なところでは、天地会、三合会、小刀会、哥老会、大刀会、義和団、一貫道、在理教等々ですが、つまるところ紅幇、青幇のどちらかの系統に入ります。このほかにも紅卍字会と日本の宗教団体・大本教出口王仁三郎との関係、摩訶不思議な中国秘密結社の謎の武術「洪拳」の秘密などなどなど・・・・、興味は尽きません。中国の面白さはじつはここにあるのです。さらにさっきお話したように、いま現在でも大きな「幇」小さな「幇」がたくさんあります。

 KOSEI

中国面白体験記その65<中国文化:道教の世界002>

<中国文化:道教の世界002>  2016/04/08

僕は中国某所にある道教の寺院(道院といいます)に通い詰めたことがありました。数ヶ月でしたが。そこで、僕自身が望んだわけではなかったのですが、知り合いになった道士のかたの計らいで(というか道長にかけあってくれて)、なんと道教道士の証書を戴いてしまったのです。僕は確かにこういった方面には人一倍の興味は在りますが、数ヶ月でこのような証書をもらう資格は在りませんといってお断りしたのです。すると道長は、「あなたは確かにこの道教寺院に来てからは数ヶ月かもしれないが、これまでに別の道で修行をしてきている。またあなたは前世でも修行をしてきている。だからあなたに授けるのです。しかし仮証書だと思ってください。これから本気で修練の道に入ってください」といわれましたので、そういうことでしたら、ということで有り難く戴きましたが、僕はあくまでも名誉職的にかんがえています。人生上の良い思いでです。

ただし、今まで確かに僕は密教の修行をしたり、西洋魔術の修行をしたりしてきましたが、この道院長にはそれらのことはひと言も話していなかったので、さすがだと思いました。では、前世はといいますと、これは僕の別のブログでも書きましたが、もういちど書きます。ある日別の道士に僕自身の過去・現在・未来を透視してもらいました。現世での動きは驚くほど適格でした。では前世はどうだろう?と思い、前世透視をしてもらいましたところ、僕は前世では天界にいて神官を務めていたとのことなのです。たしかに僕の生まれた家系は道教ではありませんでしたが、ほぼ全員がクリスチャンです。中には聖職者もいます。現に僕の従姉妹は聖職についています。と、そこまではよかったのですが、「あなたは天界でなにか悪事を働き天界から追放されました」ときました。え?孫悟空みたいに桃を盗んだ?何をしたのかはウッカリ聞き忘れましたが、とにかく僕は天界から追放されたのですが、しょうがなく地上に、この人間の世の中に生まれてきたかったのですが、なかなか果たせず「中有」に長年うろうろしていたとのこと。ある日観世音菩薩が地上に照射する白い光に便乗し、地上に降り立ったそうです。

夢のような荒唐無稽な話ですが、どこか僕は納得できる部分があることも確かです。道教もそうですが僕は中医薬大学で「気功・整体科」というところで気功を勉強していました。以前は東京都内のカルチャーセンターで気功法の講師として気功法講座を受け持って何人かの生徒さんを教えており、また僕が北京で師事した先生は外気功(外気治療)で高名な気功師であったため、時々簡単な病気の治療も行ったりしていました。外気治療とは体の外側から気を送って、患部を治療する技術です。しかし僕の気功法教室では別段外気治療をしなくても、ちょっとした胃潰瘍ぐらいなら錬功(気功の練習)だけで、治癒してしまいました。一種の運動療法ともいえます。

「手のひら治療」というのが一時はやりましたがあれと原理は似ています。そこで誰でもできる「気の放射」の方法をご紹介します。

手のひらには気が出入りする穴がありますから、まず、その場所を見つけることです。それは手を軽くグーにして握ってみると、中指の先が当たる場所がありますが、↓↓

ここは「労宮(ろうきゅう)」というツボで意識を集中しやすいポイントです。気功師が手のひらから気を出すときは大体ここから出します。まず最初は自分の左右の手のひらを少し間隔をあけてキープする。そして労宮に意識を集めていくと、労宮がチリチリする感じや暖かくなる感じがしますから、その感覚をつかむ練習をしてください。

次に誰か仲の良い友達に協力してもらいましょう。その友達と向き合ってお互いに一人は両手のひらを上に向けて、もう一人は両手のひらを下に向けて間隔を少しあけてあなたは労宮に意識をかけてそれを相手の友達の労宮に向けて発射するようにイメージします。

そこで相手の友達に、手のひらにいつもと違った感覚がなかったかどうかを聞いてみてください。相手の手のひらにいつもと違った状態が出てきたら成功です!あなたの手のひらからは気が発射されています。もしもあなたの周囲に何かしらの疾患で弱っている人がいたら、その人の患部に向けて意識的に発射するのです。効果が出るまでこれを繰り返してみてください。疾病の重度にもよりますけど、何かしらの効果は出るはずです。

KOSEI

 

中国面白体験記その64<中国文化:道教の世界>

<中国文化:道教の世界>  2016/04/07

道教に関しては様々な方が専門書を書かれているので、このブログで道教研究の専門家でもない僕がいまさら書くことはないのですが、僕自身が感じたおおまかな道教にたいする感触を書きます。まず道教は「中国の宗教」ということで紹介されることがほとんどですが、日米欧諸国がイメージする宗教というものとはだいぶ違います。欧米人や日本人が考える宗教には「顕教」と「密教」とがあります。「顕教」とは教えの宗教であり、「密教」とはチカラの宗教ともいえます。ところが道教には、そのような整理されたものはなく、民間信仰や民間呪術、民間療法のゴッタ煮状態とでもいうべきものです。ゴッタ煮という意味では、儒教と仏教の要素を取り入れている部分もだいぶあるようです。

「日本に道教を定着させようとした試みがあった。しかし時の天皇が許可しなかったため、道教という形ではなく違う形で上陸した。それが陰陽道である」ともいうようなことも聞いたことがありますが、そもそも道教というモノはむかしは無かったので、これは道教が伝来したのではなく、中国の民間呪術や民間信仰が少しづつ伝わってきたのではないかと思います。僕は歴史学者ではないので、そこらへんの事情を深く研究したわけではありませんが、陰陽道といえば呪術的な要素が強く、干支、日柄、家相等々が中国から日本に伝わってきて「陰陽道」として定着したのでしょう。すべての東洋系の占いや天文の基本思想になっている「陰陽五行説」も元をただせば中国の「易経」です。

20世紀最大の魔術師と呼ばれているアレイスター・クローリーが必読書の中に「易経」を入れていたのには驚きましたが、考えてみたら西洋の「魔術」は人間心理のより深い部分を追求する「道」ですから、自然といえば自然なのでしょう。道教を研究した欧米人はクロウリーだけではありません。アンリ・マスペロ、ジョセフ・ニーダムなどが有名です。ニーダムは「中国の科学と文明」という大著(全11巻・思索社)は著わしましたが、この大著『中国の科学と文明』は中国文明のみならず非ヨーロッパ文明に対する知識人の見方を一変させるほどの衝撃を西洋世界にもたらした(Wikipedia)といわれています。

ニューエイジ思想の古典ともいえるチョフ・カプラの「タオ自然学」にも道教は登場するようですね。「タオ」とは「道」の中国語読み「dao」がルーツでしょう。その後1980年代からタオブームが始まりましたが、これらタオブームとは「道教ブーム」というよりも「東洋思想ブーム」とでもいったほうがいいのではないかと思います。

道教は内包するものがじつに多彩です。有名な知られているものをあげてみましょう。奇門遁甲、気功法風水錬金術、房中術、周天法、導引術、霊符呪法、不思議な仙人の話等々・・・・。

この護符は「玉皇大帝万能符」

道教の神様と呼ばれているものにも様々な神様がいらっしゃいます。以下は民間信仰の対象となっている神様たち

玉皇上帝(ぎょっこうじょうてい):人間の善悪を審査する民間信仰上の最高神

泰山府君(たいざんふくん):死者の霊が集まる霊峰東岳泰山の神

九天応元雷普化天尊(きゅうてんおうげんらいせいふかてんそん):天界の最上位に棲む万霊の神

玄天上帝(玄天上帝):太極の分身にして聖なる北極星の象徴

北斗星君・南斗星君(ほくとせいくん・なんとせいくん):人間の寿命、富貴、貧賤を司る神

斉天大聖(せいてんたいせい=孫悟空のことです):財運招来、悪霊退散、勝負必勝

保生大帝(ほせいたいてい):病気治しの医神

このほかにも数多くの神様が信仰されています。

中国の神様にお願い事をして見ましょう!

KOSEI

 

中国面白体験記その63<中国オカルティズム文化>

<中国文化>  2016/04/06

僕が中国に惹かれたのはそもそも文化面です。それも中国が持っている摩訶不思議な面に惹かれました。中国大陸に実際に渡る前にも台湾で仙道修行をした日本人の方から色々な教えを頂いたりしていました。そうです、僕は中国のオカルティズムとでも言いましょうか「仙道」に興味を持っていたのです。不老不死の肉体、「出神」と呼ばれる技法により自分のコピーを造って独立させてしまったり、鬼(霊のことですね)を使役したり。このような世界の話を聞くと僕はワクワクが止まらずに仙道の具体的なことに言及している「抱朴子」という書物に接したり、日本仙道連盟の本に接したり、小野田大蔵氏の書物、仙道関連の書籍の良書はあまりありませんが、結構一生懸命勉強をしました。高藤聡一郎氏の書籍も大陸書房時代のものは真摯な感覚がありましたが、学研ムーになってからの書籍は正直首を傾げます。

11世紀続いたペルシア帝国を新興イスラムの戦力が押しつぶして以来、イスラム・アラブが建設した巨大な国際商業ネットが成立しましたが、この通商圏を介して、ユダヤ神秘主義を主軸とした西洋魔術の体系に「インド魔術」や「中国魔術」も少しづつ中東経由で西洋にも伝播したいきました。僕はこの「中国魔術」に大いなる興味を持って中国に入ったのです。ところが惜しむらくは中国大陸で育まれたであろう神秘主義の核心の多くは、台湾へ持ち去られたようです。これには文化大革命の影響も大きいと思います。中国道教の内部を知りたくて道教道士とも仲良くなったのですが、やはり道教道士の中国語は時々意味が解からなくて難儀しました。

しかし最近(といってもだいぶ前なのですが)、ドイツのC・G・ユング博士がR・ヴィルヘルム氏と共著で出した「黄金の華の秘密」という書籍に触れました。じつはこれは、道教の瞑想法「太乙金華宗旨」という秘伝書の内容を詳しく説き明かした本なのです。この本には道教の「慧明經」という秘伝書の内容も合わせて載せられており、かなりの良書です。仙道で修行した部分とだいぶオーバーラップした部分も在るのですが、いい本です。

面白いのは、この本は英国の魔術結社「黄金の夜明け団(GD)」の修行内容をイスラエル・リガルディが暴露した「黄金の夜明け魔術全書」のなかにリンクがついていたのです!今後は魔術の世界もヨーロッパ、インド、中国と、ボーダレスで広がっていくと思います。ヨーロッパとインドの合体が「神智学協会」と大雑把に捉えるならば、中国とインドとヨーロッパをユニットした新しい動きが起きてくるのではないでしょうか。

機会を見て道教の内容も紹介をさせていただきたいと考えています。

KOSEI

 

中国面白体験記その62<中国の生活_事務所風景>

<中国の生活_事務所風景>  2016/04/05

僕は中国で2年間会社社長を務めていましたが、これが受け付けです。↑↑ 日本の企業というイメージを崩さないために、事務所の中は小ぎれいに仕上げました。広さもそこそこありゆったりとした感じの事務所です。もっともエレベータで上がって来るときにビルの中が汚かったので、イメージぶちこわしですが、逆にお客さんは社内に入るとホッとするものがあったはずです。中国の中でも外資の会社が入るビルが在るのですが、そういうところは家賃も高いので、むしろ一般の中国企業がテナントで入っているビルを選びました。このビルも「远东大厦」というビルでテナントで入っている会社はみな中国の会社です。中国の会社と肩を並べていた方が目線が中国人と同じになり、中国社会に入り込めます。一階には中医の診療所があったり、レストランがあったりしました。僕はある時にもの凄い肩こりに襲われて、この中医にかかりました。中国マッサージを受けましたが、イヤ、その強烈なことといったら・・・・・!はりかえしが来ました。細いからだの男性の按摩師なのですが、その力は剛力!近くに歩いていけるところに瀋陽では有名な餃子の美味しい店があり、よくそこに晩御飯を食べに行きました。また同じく近くに市場がたっていて、そこで食材なら何でも買えるのです。「北市(ベイスー)」という地域で便利のよい場所でした。

用事があるときは大体タクシーか社用車です。これはタクシーの後部座席に乗っているところを撮影しました。中国でタクシーに一人で乗るときはドライバーの横、つまり助手席に乗ることが多いです。ドライバーが客の行動を見ていられるので安心するのでしょう。タクシー強盗がとても多いのです。そのため、運転席を格子で囲んでいるタクシーもよく見ました。後部座席に乗るとドライバーは客の行動がつかめないので、不安になります。この写真は僕は後部座席に乗っています。助手席には会社の人間が乗っていました。

この写真は社長室です。ガラスドアーには「董事长室」とありますが、董事长とは社長のことです。ところでこのガラスに貼り付けてある文字ですが、じつは手書きなのです。実にバランスよくきれいにまっすぐによれないで曲がらないで書かれています。いえ、書いたのではなく粘着テープをガラスに張って手際よくカッターナイフですいすい切り取っていったのです。じつにみごとな腕前です。器用というかなんというか。「ニセ物王国」たるには、それだけの技術的な背景もあるということでしょうか?僕はその職人が事務所にやってきて目の前で仕上げていく有様を何から何まですべて見ていましたが、みごとです!それもヘラヘラ世間話をしながらですよ!

これは金庫室の有様ですね。中国の会社やレストランには道教の「財神」が祭られていますが、うちの会社でもお祭りしていました。道教の財の神様が金庫を守ってくださっていたのですね。毎朝お線香を焚いていました。お線香を上げるのは社長の役目なので、僕が毎朝やっていました。この財神の像を選ぶときのコツです。道教寺院に行って像がたくさん並んでいるところが在るのですが、そこに入っていきます。そして最初に自分と目があった、または自分に笑いかけた像があればそれが自分を守ってくれる目指す神像なのです。そして選んだ後は御霊入れを行い、会社の安置するところまで僕が抱きかかえて持ってこなければいけないのです。ちょっとした用事でも体から離してはいけない、たとえトイレでもです。これは重かったりで、大変でした。

KOSEI

 

中国面白体験記その61<中国の風景_大連>

<中国の風景_大連>  2016/04/04

僕は以前大連にも会社を設立していた時期がありました。貿易会社です。

さて、この風景は大連の旅順という場所にある「旅順口」というところから、入り江を見渡した写真です。いまは静かです。ここら辺一帯は「203高地」として知られていますが、ここで日本軍とロシア軍が激戦を交わしたのですね・・・。いまは静かです。

日露戦争といえば雌雄を決した対馬海峡海戦(日本海海戦)が有名です。バルチック艦隊ウラジオストックに戻るには最短距離の対馬海峡をかならず通ると東郷平八郎は読んで対馬海峡で待ち伏せをしていたのですね。

以下http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-332.html のブログ「しばやんの日々」より引用します。

ここで日露の戦力を比較しておこう。
日本海軍は、戦艦4、装甲巡洋艦8、装甲海防艦1、巡洋艦12他
バルチック艦隊は戦艦8、装甲巡洋艦3、装甲海防艦3、巡洋艦6他
で戦艦の数では日本海軍はロシアの半分に過ぎなかった。

ここまで引用:ところが結果はどうだったでしょう?再び引用開始です。

午後2時12分、戦艦隊が砲撃を開始して、敵の先頭二艦に集弾…、午後二時四拾五分、敵の戦列全く乱れて、勝敗の分かれた時の対勢である。その間実に三十 五分で正味のところは三十分にすぎない。…勢力はほぼ対等であったが、ただやや我が軍の戦術と砲術が優れておったために、この決勝を贏(か)ち得たので、皇国の興廃は、実にこの三十分間の決戦によって定まったのである。」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941857/54
海戦は実はこの日の夜まで続いたのだが、この戦いでバルチック艦隊を構成していた8隻の戦艦のうち6隻が沈没し2隻が捕獲された。装甲巡洋艦5隻が沈み1隻 が自沈、巡洋艦アルマーズがウラジオストックに、海防艦3隻がマニラに逃げ、駆逐艦は9隻中の5隻が撃沈され、2隻がウラジオストックに逃げた。ロシア側 の人的被害は戦死5046名、負傷809名、捕虜6106名。
一方日本側の損害は、水雷艇3隻、戦死者116名、負傷538名であった。(平間洋一『日露戦争が変えた世界史』による)
結果は日本軍の圧勝であり、日本軍のこの勝利で日露戦争の趨勢は決定的となったのである。

日本海海戦における日本勝利のニュースは世界を驚嘆させ、殆んどの国が号外で報じたという。有色人種として自国のことにように狂喜したアジアやアラブ諸国、ロシアの南下を阻止したかった英米は日本の勝利を讃え、ロシアの同盟国フランスはロシアに講和を薦め、ドイツはこの開戦の勝利を機に対日接近を強めたようだ。

引用終わり

ちなみに東郷平八郎は英国のネルソン提督から海戦技術を学んだそうです。あの当時は欧米も日本に肩入れしていましたからね。もちろん僕は軍国主義者ではないですが、あの当時のロシア人の強大な武力を背景にした侵略政策を見るにこの小国日本の快挙は「スゴイ!」のひと言です。「小よく大を制す」の武道の精神が面目惹起!

KOSEI