KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

心霊現象?<祈祷師奮闘記>

祈祷師奮闘記  2016/06/02

祈祷師という目に見えない世界を相手にしていると、時として不思議な現象に出くわします。

10年ほど前でしたが、ある「探偵さん」がご相談にみえました。この探偵さんを話の都合上「Sさん」と呼びましょう。ご相談内容は、奥さんが家を出てしまって帰ってこないので何とか呼び戻してほしいというのです。僕は復縁魔術をかけたわけですが、1ヶ月ほどで無事に奥さんは帰ってこられました。

その後Sさんは非常に喜んでくれて自分の家の夕食に僕を招待してくれたりで大歓待です。そういうように依頼者の方と個人的に親しくなることは余りありませんので、いい機会と思い奥さんに聞いてみました。奥さんは術をかけられた側なので、どういう心理的な変化が発生するのだろうという興味もあり、またその後の何かの参考になると思って聞いてみたのです。

僕は祈祷師だということを伏せておいて「なぜ奥さんは返ってくる気持ちになったのですか?」と聞いたのです。するとご本人は「なんとなく返りたくなったからです」というお返事で、まあそんなものかな、という感じでした。

しかし今日の本題はそこではないのです。しばらくおふたりは仲よく結婚生活を送っていたのですが、奥さんがなんと再び失踪したのです。そのときのSさんの落胆ぶりは、傍から見ていても本当に心が締め付けられるようで、僕まで心が苦しくなったものです。

そして・・・、一応僕は復縁祈祷を再度実行したのですが、ある日・・・・。なんとSさんは自分のマンションの17階から飛び込み自殺をしてしまったのです。あのときの僕の驚きと放心状態は尋常ではなかったです。さて事件が起きたその日か次の日かは忘れましたが、僕の住んでいる家で怪異現象がおきたのです。

急に僕の家の前に車が停まった音がしたそうです。そして車のドアを閉める音、僕の家のドアを開けて入ってくる音と人の気配。そのときは家族の者が在宅していましたが、みな聞いているのです。そして2階の僕の書斎兼鑑定室に向かって階段を上って行く足音。2階の僕の書斎のドアを開ける音。家族全員が聞いているのです。しかし書斎にはいったきり、出てくる気配はなし。それらの音を家族全員が聞いていたにもかかわらず、そのとき僕はじつは家にはいなくて外出していたのです。

家族の者は「お父さんが帰って来たのかと思った」というのですが、よくよく思い出すと、車のエンジン音が違うというのです。僕が乗っていたのは国産のホンダ車です。ところがそのときのエンジン音はスポーツタイプのゴツイ音だったと家族の者は口をそろえていうのです。そして足音、ミシミシと階段がきしる音・・・。それからほどなくして僕が帰宅して初めて家族の人間は「アレ、お父さん?またいつの間に出かけたの?」という。

事の次第を聞いて僕には思い当たる節がありました。Sさんの家にご馳走に行ったときにも、夜遅くなってしまい小腹が空いたので、僕は僕の車で、Sさんは自分の車で近くのファミレスに行ったのですが、そのときに彼が乗っていたのは外国製の珍しいスポーツカーでした。僕の家に訪ねてきたのはSさんの魂魄であったのでしょう。亡くなってからも相談に来られた。頼りにされていたんだなぁ・・・・、と嬉しかったですが、心の中で合掌しご冥福をお祈りしました。

KOSEI

術合戦その2<祈祷師奮闘記>

術合戦その2<祈祷師奮闘記  2016/05/31

昨日は「術比べ」の話をしましたが、他にも印象的な依頼ごとが何件かありました。今日お話しするのはそのうちの一件です。依頼者は男性でした。恋愛に関した占いや祈祷の依頼にみえるのは男女比から言いますと、やはり女性のお客さんが多いです。この方は珍しい依頼でした。珍しいというのは男性だからということもありますが、その依頼内容です。

その依頼者の方のご相談内容は2つありました。ひとつはある女性と縁を戻したい、もうひとつはある人から呪いをかけられているので何とかして欲しい、という内容でした。

ことの経緯は次のようなものです:依頼者の男性をAさん、復縁相手の女性をBさん、話の途中で登場する女性呪術師をCさんとします。AさんはあるパーティーでBさんと知り合いました。AさんはBさんのことをすっかり気に入ってしまい、Bさんもまんざらでもなかったので、二人は交際を始めたとのこと。それから何ヶ月か経ったあと、またパーティーがあったようなのですが、そのときはAさんとBさんは二人で連れ合って出かけたのですが、その会場にはBさんの知り合いのCさん(女性で呪術を使う人)という人がいて、Aさんにも紹介をしてくれたそうです。BさんがいうにはこのCさんには「不思議な力」があるというのです。年齢はAさんとBさんよりは年配の方ですが初老まではいかない御婦人です(僕も写真を拝見しました)。その不思議な力というのは、それは自分の周囲の環境を動かしてしまう力、つまり「念力」のような力があるというのです。

Aさんが僕に話してくれたところによると、一緒にいるとどうも落ち着かない妙な雰囲気があったそうです。さて、そのCさんとAさんはどうもソリが合わなかったらしく、何ヶ月か経った後に人間関係が壊れてしまったとのこと、つまりケンカ別れです。まあAさんにしてみれば自分のカノジョはBさんなので、Cさんとは話が合わないのでしょうがない、というくらいの気持ちだったそうです。ところがかなり激しいケンカだったらしく、別れ際にCさんは、AさんとBさんの仲を割いてやるといったような物騒な捨て台詞を吐いたそうです。

のみならず、Aさんの健康にも甚大な被害を及ぼしてやる、といった内容のことを言ったそうです。しかしAさんは健全な心身を持っており、そのような言動や脅しには一切動じない性格であったため、そのようなことを言われたことすら、まったく忘れてしまっていたそうです。

ところが数ヶ月経過した後、些細なことが原因でBさんともケンカをしてしまい、あれほど幸せだった二人は別れてしまったのです。この時になってもAさんはまさかCさんが言っていた言葉はまともに取り上げても見ませんでした。しかしほどなくして健康状態も落ち込んできて、病院通いのありさま。日に日に痩せ細ってきて見る影もなくやつれてきたのです。ここにきて初めてAさんはCさんが持っているという「不思議な力」と結びつけて考えたのです。Aさんは「Cさんが念力を使って呪術で自分を今のような状態に追い込んだのだ」という考えです。

そこで僕のところにご相談にみえたというわけです。相談事のひとつは「Bさんとの復縁」「Cさんからの呪縛を断ち切って健康体に戻して欲しい」のふたつです。

そこで僕は計画を立てました。この案件は単一ではないので、通常のようにひとつの祈祷だけではだめだろうと思ったのです。その計画はどのようなものかというと、復縁成就を行いながらも、その方にかかっている「呪い」を祓っていく、という二段構えで進めないといけないという計画です。そうしないと、いくら復縁成就だけやっていても、端から相手の呪術師の邪念に邪魔をされてしまい、効を奏さないであろうという理由からです。むしろ最初に呪術の力を撥ね退ける作業をしたほうがいいと判断しました。

Aさんのケースは昨日の方のように1ヶ月というわけにはいきませんでしたが、徐々に健康を回復されてきて半年も経った頃には健康体に戻ってしまいました。おそらくご本人の心理が作り出していた病気であったのではないかと思います。僕の祈祷の力が護っていると思ったため、自然治癒能力が治療したのでしょう。しかしあのままにしておいたら、本当の病気になってしまっていたでしょう。(その意味においては)邪な術は存在します。自分で自分の中に「確固とした中心」を築き上げてしまえば、怖れることはありません。普通の方の心は常に揺らいでいるため、そのような邪念の影響を受けやすいのです。

このお話は、お二人の別離やAさんの健康状態が落ち込んでいったことが、はっきり呪術の影響とわかるものがないということです。時期的に考えれば半ば因果関係がないとは言い切れないのですが、スッキリとしません。

とはいえ、いまだにわからないことがあります。それは儀式魔術を執り行おうとして結界内に入って精神統一をした時に、急に、なんと言っていいのか、分厚い生暖かい空気の固まりのようなものが僕を圧迫してきて気分が悪くなってきたことです。それが相手側の呪術をかけている人の「念力」なのでしょうか?心の力が正しいものなのか邪なものなのかは関係なく、空間を越えて想念を送り出すことができる人は存在します。Cさんはきっとそのような人だったのでしょう。

この「術合戦」ですが、健康回復のほうでは相手の邪術を操る呪術師の攻撃を防いだので僕の勝ちでしたが、残念ながら復縁祈祷の方では成功のお知らせはいただいていませんでしたから失敗でした。

KOSEI

 

術合戦その1<祈祷師奮闘記>

祈祷師奮闘記・術合戦  2016/05/30

 

↑これは中国道教の道士であることの証明書です。僕の「法名」は「柳真聖(りゅうしんせい)」といいます。「太上全真門下金山派第二十代柳真聖」です。

僕が祈祷師として活躍していたころはずいぶんと色々な奇妙なことがありました。道教の道士の資格は持っていますが、実際に行ったのは西洋魔術の手法が多かったです。今日のブログのタイトルには「術合戦」とありますが、これは、目に見えない力同士の対決です。まるでアニメか漫画の世界のような感じを受けますが、現実に起きたことです。

ある日ある方が祈祷の依頼にみえました。僕は何人もの方のお願い事を頼まれていましたので、大体いけそうかどうかが感覚的に判るようになってました。その依頼者の方の場合、「一ヶ月コースかな・・・」という感覚でした。代金もいただき(当会は先払いでした)準備も終わり、いよいよ開始しました。通常は週一回のペースで願い事が叶うまで期限無制限という良心的な方法です。

いよいよ開始日です。何曜日だかは忘れましたが第一回目の祈祷を終わらせました。喜びのご報告はいただけなかったのですが、まあ1ヶ月と見込んでいたのでそんなものだろうと、1ヶ月をメドに頑張ろうと思っていました。ところが数日経過した後、次のようなメールをその方からいただきました。「あの・・・じつは・・・」という感じの申し訳なさそうな書き出しで、要約すると次のような内容でした。じつはこの方は僕以外にも他の祈祷師にも同じ相談事で祈祷を依頼していたのです。まあこれはよくある話で、より確実性を期すという意味では責められるべき事でもないと思います。しかしその方は、二人の祈祷師に同時に頼んでも大丈夫なものかどうか(何かしらの弊害が出ないか)、ということが不安になり、僕に聞いてきたのです。そこで僕は「目に見えない力ですが、力と力のぶつかり合いなので弱いほうが負けます」とお答えしました。では負けるとは何を以って負けるというのか?ですね。そこが今件の特異な所であり、他に類を見ない特徴なのです。

どういうことかをお話します。そのもう一人の祈祷師の方は密教護摩を焚かれる方だったのです。数回施法されたようですが、それまでに効果が出ていなかった。そのため依頼者の方は僕のほうにも依頼してきた、という流れだったのです。ところが僕の第一回目の修法とその密教行者の方の修法日が、偶然まったく同じ日だったのです。さてその当日、密教の方の修法に異変が起きたそうです。なんと護摩木に火がつかない、ついてもすぐに消えてしまう。何回やってもダメ・・・、というような不思議な現象であったため、密教行者の方はその日の修法はあきらめたそうです。と同時に依頼者の方に尋ねたそうです。「あなたはどこか他の行者さんにも依頼していませんか?」と尋ねたのです。その密教行者さんは、さすがに修行を積んでいらっしゃる方で鋭いですね。その依頼者の方は本当のことは言わずに「いいえ、そういうことはありませんけど・・・」と答えたそうですが、僕のほうには本当のことを話してくれたわけです。

このようなケースですと、力同士がぶつかって闘いますから無駄なエネルギーが費やされ、肝心の願望成就までの時間が延びてしまうのです。もちろん僕はこの依頼者の方にもそう言いました。その後数日して依頼者の方から、向こうの行者さんはお断りしました、との連絡が入りました。その密教行者さんも半分あきらめており、放棄していたようですが。

それから1ヶ月を待たずに(曖昧な記憶ですが)1ヶ月未満で成就しました。満願成就です。

他にも術比べ・術合戦の話はありますが、次回は別の話を「その2」としてお話します。いままで術合戦で負けたことはありませんでした。連戦連勝です!

KOSEI

 

 

 

願いを叶えるコツ<忘れること>

祈祷  2016/05/29

昨日のブログでは埼玉県の民間祈祷・呪術について書きましたが、じつは僕は「祈祷師」としての仕事に携わっていました。祈祷といっても僕の家柄はすべてクリスチャンで英国国教聖公会(Anglican Church)ですから、神道宮司さんあるいは密教の僧侶が祈祷しているイメージとは程遠いものがあります。ただし僕は若い頃キリスト教に愛想をつかして(僭越にも)独自の道を見つけようとして25歳のころに密教の門を叩き、密教では四度加行(しどけぎょう)というあらゆる修法の基礎になる行法があるのですが、それをマスターしましたので、時として密教の行法を採用したりしました。しかし、ぼくの潜在意識にあるものは、いくら嫌っていても英国流にならざるを得なかったのです。

これはかのむかし1776年に現在の南ドイツのババリア州のインゴルシュタットの町でアダム・ヴァイスハウプトという人が「イルミナティ(啓明結社)」という教団を創設しましたが、その創設者であるヴァイスハウプトの家はイエズス会であったそうです。そこで元祖イルミナティ教団の内部構造を研究してみますと、イエズス会の構造と近くなってしまっているようです。

僕の場合もそれとはだいぶ違うケースですが、生まれ育った環境は一生ついて廻ります。最後まで密教のお坊さんにはなれなかったです。したがって、主に召喚魔術、高位の神霊を召喚して依頼者の願いを叶える、というのが僕の仕事でした。だいぶ長い間その仕事に携わっていました。

さて依頼者の方が相談に見えたときは、まず運命鑑定を行いその方の宿命や運命を拝見します。そしてご当人が是非何が何でも願い事を叶えたいというときは祈祷をします。その時には召喚する神霊を選び、細心の準備をおこない儀式魔術に入るわけです。しかしその時、一番大切なことは何か?ということを僕は依頼者の方に申し上げます。もうpdfファイルにしてあり、メールで配布をして差し上げるのですが、その一番大切なことは何か?

といいますと、それは祈祷が終わったら祈祷師に祈祷を依頼したことも、いま自分が実現させたいと願っていることもすべて「忘れて」ください、とお願いをするのです。最初は依頼者の方は「キョトン」とします。祈祷というと、念力を凝らしてもの凄く強力なイメージの力で願望を成就する、といったイメージを持っているのです。これは映画などで修験道の行者や密教行者が祈祷をするシーンでものすごい形相で顔中汗を噴出して九字を切り、護摩を焚き、強烈な「ケイヤァー!」といったような気合いもろとも大声を張り上げて・・・・(以下省略)というあの刷り込みがあるわけであり、「祈祷=念力」と考えているのです。

だから僕が「忘れなさい」といってもぽかんとするわけですね。実際の例をお話しますと、祈祷を申し込まれる方の中で最も多い依頼ごとが「男女の復縁」です。一時はラブラブであった二人が何かしらの感情のもつれで分かれざるを得なくなってしまう。まさに仏教で言うところの「愛別離苦(あいべつりく)」=愛する者と別れる苦しみです。

そこで特筆すべきは、依頼者の方の性格によって成就までの時間は大きく異なるということです。「あっけらかん」とした方、こういう方は本当に早く結果が出ます。早い方で1~2日、普通でも1週間。ちょっと時間がかかってしまう方でも1ヶ月で幸せへのカムバックです。

それに対して「想いが強ければ強いほど願いは速く叶う」と本気で思っている方。こういう方は本当に遅いです。1年たっても2年たっても効果が出ません。2年ちょっとかかって戻った例も数例ありますが、もうそうなってくると、祈祷の効果で復縁が叶ったのか、時間が経ったから心が落ち着いてきて叶ったのか判らなくなってきます。

効果が遅い方に共通しているのは、「こだわり」が強いということです。相手の方へのお気持ちはもちろん理解できます。しかし表面意識で忘れた瞬間から潜在意識が活動を始めますので、表面意識で始終頭の中がお相手のことでいっぱい、というのは最も戒めなければいけない事なのです。

そういえばビジネスの世界でも「成功者は楽天的」といいますね。次回は祈祷を行なってきて体験した貴重な体験談をお話します。

KOSEI

 

 

埼玉県秩父地方の迷信001<祈祷・呪い>

祈祷・呪い  2016/05/28

いわゆる迷信の類ですが、色々とあります。

1)血マメ:「誰々に教わったことを忘れたか」と呪いを教えてくれた人の名前を唱え、手に唾をつけてその患部を三遍なでる。これを三回繰返す。またマメのできたときは「件(くだん)の如し」と指で書き「アブラオンケンソワカ」を三回唱え息を三回吹きかける。

2)火傷:「天竺の権田ヶ原の大蛇が火に入りて、焼けほこり、水をかけかけふきしめし、アビラウンケン」と何回も繰返し唱えながら息を吹きかける。湯で火傷をした場合には「天竺の権田ヶ原が湯に入りて、焼けほこり、水をかけかけ吹きしめし、アビラウンケン」と唱え息を吹きかける。火傷を筆で墨を塗り氷という字を何回も書く。そして「アビラオンケンソワカ」と唱えると火ぶくれにならない。また冬至の日に水を竹筒に入れ、自在カギに供えておくと火傷をしない。火事にもならない。

3)イボとり:稲妻のときイボを箒で掃くと取れる。イボと山椒の木の枝の間に棒をかけて「イボが山椒の木に移るように」と呪いをする。里芋の葉にたまった露でイボを洗う。十五夜の時に飾ったススキの切り口についた露で洗う。不動様の下の石でなでる。恵比寿さまに供えた水を毎日飲む。線香の灰をつける。お盆さまの茄子の馬のつゆをつける。稲妻のとき「イボイボ一本橋渡れ」と唱えて箒で掃き落とす。墓場の茶碗の水をつけると取れる。

*迷信の類は数や種類からいってこんなものではないのですが、適当なところで・・・・。

これらはすべてではないですが、フレイザー博士が言うところの「共感呪術(模倣呪術)」、「感染呪術」等に分類できると思います。

興味がある方は、フレイザー博士が著わした「金枝篇」を当たってください。オススメの本です。この本は以前は岩波文庫からフルセットで出ていたと思うのですが、その後改訂版が出版されました。しかし価格がずいぶん高騰してましたね。呪術は魔術や神秘儀式との間に目に見えないつながりがありますから、とても興味深いジャンルです。

しかし「良書を安く」を基本構想ですすみたいですね。概観を知りたい人は、白水社の「文庫クセジュ」の中の「呪術(J.A.ローニー著)」でも充分だと思います。

KOSEI