KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

外国語の勉強で大切なこと

日本人の外国語会話の勉強法を見ていると、大きく二つに分かれるようですね。「一つは文法をしっかりやっていく」ことを重視するやりかた。もう一つは文法はさておき会話を勉強しているんだからまず「習うより慣れろだ」という会話重視のやり方。日本人は会話が苦手、英語なんかは中高大で10年間近く勉強しているのに簡単な会話すらできない、と言われています。そこで最近しきりといわれているのが、後者の「習うより慣れろだ」をさらに強調した方法です。

というのも最近は以前と違ってCDやDVD、またはネット配信などが盛んになってきたので、ヒアリングが容易にできるし、DVDなどでその言葉が発せられる場面を視覚で捉えることができるので、外国語会話能力を向上させるには、ますます環境が整ってきたわけです。またホームステイなんかも増えているようですね。そして日本国内にいても、昔は「英会話喫茶」というものがあり(今でもあるようですが)、そこでネイティブスピーカーと話をすることによって会話能力を高めようとしたわけですが、今は格安スカイプレッスンというものが大流行のようです。

このように日本では外国語の会話能力向上にはインフラが整ってきているのですが、依然として日本人の外国語能力はイマイチのようです。

これは何が原因しているのでしょうか?僕が思うには日本人は農耕民族でなおかつ島国なので、外国人と接する機会が少なく、また接する必要もなかった、といった時間が長きにわたったため、遺伝子の中に外国へのアレルギー反応が住みついてしまっているのだと思います。日本人の外国人アレルギーは相当なものです。道を歩いていて向こうから外国人(まあ白人)が二人来たとしましょう。すると日本人は何を考えるか?「あ・・、ガイジン、二人で何やら話し合ってるけれど、あれは道が分からないんだな、という事はこっちに道を聞いてくる、え、と、なんて答えたらいいんだろう・・・、う~んと、あ、go to station んん?アレ?△×○・・・・」といった具合にナゼか顔が青ざめてきます。

何回も接していればこういう事態は起きないのでしょうが、日本という島国はそうは行かない。外国人と接する機会がない。外国語会話を勉強するといっても、会話をする相手は人間です。その人間と接する時間がないから上達が遅いのも当たり前ですね。しかしもう一つ原因があるように僕には思えます。

それは日本という国は「謙譲の美徳」を推奨しているということです。非常に礼儀正しい国民が日本人ですね。だから外国語の会話にしてもどうしても完璧主義になってしまうのではないでしょうか?つまり話し出す前に文法とか構文ということを考え始めてしまうため、会話のスピードについていけなくてオタオタとなってしまう・・・。しかし僕は文法を考える必要はあると思います。話がでたらめでは非常に相手に失礼だから。

でも言葉の持っているもう一つの側面は「単なるツール」ということです。アナウンサー英語である必要はないということで、事実アメリカ大陸なんかは移民系が多いせいか随分といい加減な英語が平気で使われているそうです。だから伝わればいいんだと思って、思い切りブロークンで話してみることですね。もちろん通訳を目指している人はキチッと専門学校で基礎部分を固めないといけません。しかし日常会話ができればいい、というのであれば、あまり気にかけなくてもいいのでは・・・・?

 

ホワッド・アイ・セイ↓↓↓これはレイチャールズの代表曲ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=xTIP_FOdq24

僕は中学生の頃この曲を何回も何回も友達と夢中になって聞いたものです。いいですねじつに。特にパート2がいい!

 *ところで、昨夜から今朝にかけてSkypeがおかしくないですか?このブログを見ている方で何か情報を持っている方がいたら、お知らせ下さい。