KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

体力

<体力>  

高杉晋作のことばに「面白き事もなき世を面白く」というのがあります。世の中を変革する!と熱烈思考の人がおりますが、社会を変革するといっても、まず自分の周りの「面白くないこと」を「面白く」していくことが大事ですね。さもないと「文句人間」になってしまいます。「文句人間」とは、文句ばかり言ってそれを変えようとしない人のことです。

社会を変えるにはまず個に変化を起こすということですが、そのためには色々な準備が必要になってきますね。その第一は自分自身の体力の問題です。身体が弱いとか病気がちや、パワー不足だと、改革は全うできないでしょう。もちろん、ある人が体力がなくても他の人がそれを補っていくように、各々別の才能を持ち寄るということでかまわないのですが、ひとりひとりが基本的には肉体的精神的なタフさを持っていなければならないのでしょう。

ところで古代の考え方に「三つ組の法則」というのがあるのをご存知でしょうか?「3になるためにしか人は2の形で求め合わない(エリファス・レヴィ著より引用)」とあります。でもこれだけだと何のことやらわかりませんね。これを僕なりに解釈をしてみました。「1」とは原理、「2」とはそれが実現されたもの、「3」とはそれを活用して広めていく。「3」は「演繹(原理を当てはめる)していく」という表現でも良いと思います。「1」は原理ですから、目に見えないもの、人間でいえば「思考」がそれに当たると思います。「2」はそれを実現したもの、つまり思考を現実化した「言葉」になると思います。「3」は「2」の結果を外部に拡げていき行きわたらせることでしょう。

例えばある発明家が交流の原理を発見したとします。その段階では「1」です。それを設計図や言葉や文章で表現した場合、その段階は「2」です。「1」と「2」の関係は「共通するものであり且つ反対のものであること」という定義になっています。原理や思考は目に見えない、反して設計図や言葉は認識できる。そしてそれを電気器具やら電燈に応用して世界中に広めていく、それが「3」の段階ではないでしょうか?これが「三つ組の法則」です。僕の理解は間違っているかもしれませんので、有識者の御意見を待ちます。

さて「1」が精神的なもので「2」が肉体的なものであるとすると、古来より言われている「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは、健全な精神をキープすることにより、健全な肉体を作り上げることが出来る、ということです。

では人の持つパワーとはいったい何を指して言うのでしょうか?体が丈夫な人、また気力が強い人というのは、中国の気功でいうところの「気」が充実している人のことを言うのではないでしょうか。じつは僕は以前中国の「北京中医薬大学」というところで、気功の勉強をしました。そして気功師として何年間か東京都内のカルチャーセンターで講師を務めていたこともあります。

さらにひとりの日本人で台湾の仙人に師事して仙道を研究している「仙人」と僕は知り合い、様々な情報やら技法を習得したものです。そのわが師匠は常に僕に仰っていました、世界中でもっとも「気」が強いのは中国人、次に欧米人、日本人は「気」が非常に弱い、ということを仰っていました。まず最も大切なことは、やはり「体力=気力」を強めることでしょう。

それを聞いて僕は「なるほど・・・」と思いました。たしかに日本の食べ物は淡白で、決してエネルギーが高まるものではありません。僕は個人的には日本には世界に類を見ない天皇制や、また礼儀の文化、任侠(任侠はマフィアではないと考えます)といった素晴らしい「いちばん」を持っている、と思っています。しかし日本人はエネルギー不足であるため、世界を相手にアピールし切れていない。もちろん肉食文化のように闘って相手を圧倒してアピールするという方法そのものがまず時代遅れでありますが、パワー不足を改善しないと、せっかくの日本の財産が今の社会を牛耳っている一部の「欲張りオジサン」たちに抑えられっぱなしになってしまうのです。

日本は明治維新までは孤島のなかで太平の眠りを貪ってこられました。しかし近代史を読み解くと、そもそもはヨーロッパが世界の文明を支配していたのですが、ヨーロッパは順次アメリカを支配し始めました。そして1859年アメリカで石油が発見され1870年ロックフェラー(ヨーロッパの任命した番頭さん)1世がスタンダード石油を設立。その後1898年にモンロー主義は実質的に破棄され(必要なくなったから)、アメリカは徐々に「勘違い」をし始め、自分の国家を「世界の王」と思い始めたわけです。

この大国の暴走(?)を止められるのは日本しかないと僕は信じています。話が大きくなってしまいましたが、大きくても小さくても、市民レベルで自分を国際人的な体力を身に着けるためには体力が必要です。市民レベルというのは?外国人ともっともっと接していくということです。外国の風習や習慣が日本と違っていてもいいじゃないですか、取り込んで自分達なりに作り変えればいいのです。日本特有のものだけにしがみつかないで日本文化を次のSTAGEに発展させたいです。そのためには「体力」です。外国人と対等に張り合えるだけのパワーです。日本人は白人コンプレックスといわれていますが、わが日本民族こそ世界随一の選抜民族です。

KOSEI