KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

いちど死んでみて感じたこと

<いちど死んでみて感じたこと>

あれは私の人生の中で肉体的にもっとも大きな出来事でした。

19歳の時でした、大学進学への道にも失望を覚え、就職も考えていたのですが、あるいは専門学校といった何か自分だけのものを確立した方がいいのか、ということで1年間近くも悩んでいたのですが、社会勉強ということで看板屋でアルバイトをしていました。2月26日の雪の寒い日に新宿のいまは無き「新宿コマ劇場」の正面玄関で飾り付けをしていた時、2台並んだ脚立の1台からもう1台へと飛び移ろうとして、雪で足を滑らせ私は転落をしてしまいました。

結果を言いますと「右大腿骨複雑骨折」でした。打撃を受けた大腿骨の部分は粉々に粉砕してしまい、医師が細かい骨を拾い集めるのに時間がかかってしまったほどです。しかし拾い集めは終わったものの、急激に手術をおこなったためか血圧が急降下し(上が50)、脈と呼吸も停止してしまいました。その時点で私は生理的には短時間ですが死んだといえます。ただ脳は生きていたので「生理的に」という表現は正しくないのかもしれません。

そこで医師は本来4時間かかる大手術を途中で切り上げ、急きょ蘇生処置をおこない、私は何とか生き返りました。時間にすれば2~3分でしょう。もう少しで植物人間になるところでした。あのままの状態でもっと時間が過ぎれば確実な「死」が私に舞い降りていたと思うと、私はいまだにその時のお医者さんに深く感謝するのです。

全治1年半の大ケガでした。

一時的に死んでみて思ったことは(といっても本人の意識は茫漠としていましたが)、人間の存在は何もない河のような流れなんだな、ということでした。というのも実際手術中は全身麻酔で何が起きているかはまったく判らなかったのですが、どろっとした灰色に濁った水銀のような大きな河の流れに自分がどこまでも音もなく流されていくような感覚が永遠に続いていたためです。

意識が戻った後の長い入院生活中は、様々なことに想いを馳せ、本も色々と読みました。

といっても大手術を中断したため、3ヶ月間は骨の接合が不完全なので、次回の手術に向けて絶対安静の毎日だったのです。寝返りができない毎日で天井と窓の外の一定の景色を見たきりの3ヶ月は辛いものがありました。本が読めるようになったのは、そのあとです。

人は一体なにを目安にして生きていくのでしょう?本当に満足な納得のいく人生を送った人は、一体全体この長い人類の歴史の上で何人いるのでしょう?

私の意識が混濁していたときに感じたあの水銀の河は、神智学でいうところの「アストラル界」であったと思います。「アストラル界」を日本語になおすと「星幽界」というそうです。平たく言うと霊界だそうです。戦争で亡くなった方はみなあそこに居るのでしょうね。

いまこの世の中で戦争を仕組んだ方々は、以前と比べると徐々に居る場所がなくなってきたそうです。これも彼等が仕組んだ戦争で亡くなった方の「祟り」でしょうか?実際この世の中に想いを残して亡くなった方は、その方の想念がこの世の中に残るといいます。人は死亡した後、すべてがなくなってしまう訳ではないと思います。「アストラル界」は満杯で大忙しです。

KOSEI