KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

所有の放棄と束縛の放棄

<所有の放棄と束縛の放棄> 

以下「ドーリル博士」の「真理の生活」より引用です。

聖なる秘伝を得たいと望んでいる人達が秘伝に達し得る前に、人生で為さねばならない事がある。それらのひとつが所有の放棄である。ただ、この放棄を西欧社会では、大きく誤解している。また、東洋の一般の人々も同様に誤解している。皆さんはイエスのところへ弟子入りを願ってやって来た若者の事をよく知っているでしょう。イエスは言った。(マタイ19)「あなたは全ての戒律を守っていますか。あなたは、あれこれの事をしていますか」その若者は答えた。「それらの全ての事を私は若い時から守っています」するとイエスは彼に言われた。「それでは、これから帰って、あなたの持っている全ての物を売り払って、貧しい人々に分け与え、それからここへ来て、私に従いなさい」すると、その若者は悲しみながら去って行った。というのは、彼は大なる財産の所有者だったからである。我々は、その若者が後に帰って来てイエスの弟子になったとは聞かされていない。

イエスはどのような方法であろうとも、物的な物に縛られている限り、霊的王国に入れない事を良く知っておられたのである。もし、その若者が物的な所有に縛られてなかったならば、イエスは彼に物的な富をあきらめよとは言われなかったであろう。所有の放棄は、それをあきらめたり、棄てたりする事ではないのである。物的な物に対する束縛を捨て去らねばならないのである。

仏教や唯識論で言う「執着」の随煩悩のことを指しているのでしょうね。お金をたくさん持つことに問題があるのではないということでしょう。お金をたくさん持っていても、明くる日それが一瞬の内に消えてしまっても、どこ吹く風、というのが理想的な生き方です。

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