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自分の可能性をどこまでも

魔術の10原理

< 魔術の10原理 >

H・P・ブラヴァッキー著「実践的オカルティズム」より引用

 ( 1 ) 奇跡というものはない。すべてのことは永久、不変、常に活動する法則の結果である。外見上の奇跡は、たいへん博学だが智慧のないW・B・カーペンター博士が「十分に確証された自然の法則」と言っているものに対立するエネルギーの働きでしかない。自分と同類の多くの人々のようにカーペンター博士は、かつては知られていたが、今は科学には知られていない法則があり得るということを無視している。

 ( 2 ) 自然は三位一体である。つまり目に見える客観的な自然と、客観的自然にエネルギーを与える目に見えない原型、内在する自然とその生命原理がある。この二つの上に霊がある。霊はすべてのエネルギーの源であり、これだけが永遠で、破壊されることのないものである。目に見える自然界と、その目に見えない原型は絶えず変化するが、霊は変化しない。

 ( 3 ) 人間も三位一体である。人間には客観的な肉体があり、活力を与えるまことの人間、アストラル存在(魂)がある。この二つは第三のもの即ち支配者である不死の霊によって覆いかぶされ、光を与えられる。まことの人間は自らをその霊に溶け込ませると、不死の存在となる。

 ( 4 ) 科学としての魔術は、このような原理の知識であり、また、個人が肉体にいる間に霊の全知、全能と、自然力を支配する霊の力とを得る方法についての知識である。技術としての魔術は、この知識を実際に応用することである。

 ( 5 ) 古代の知識が誤用されると黒魔術(sorcery)となり、善行に使われると、まことの魔術即ち智慧になる。

 ( 6 ) 霊媒道はアデプト道の反対である。霊媒は外部の影響力の受動的な道具であり、アデプトは積極的に自らを、また、すべての低級エネルギーを支配する。

 ( 7 ) かつてあり、今あって、これからもあるすべてのものは、「アストラル光」という目に見えない宇宙のタブレットにその記録があって、イニシエーションを受けたアデプトは自分の霊の視力を用いて、かつて知られたこと、また知り得るすべてを知ることができる。

 ( 8 ) 人種というものは、肌の色、体格、その他の外部的な特色があるのと同じように、霊的な賜物もそれぞれ違う。ある民族は高級な透視力が自然に発達する傾向が強いし、他の民族は霊媒性質が強いのである。ある国民は魔法に耽り、その方法の秘密を代々伝えていく。その結果、広範囲な物質的現象を起すことができる。

 ( 9 ) 魔術のひとつの技術は、外部の人間(肉体人間)から、内的人間(アストラル形体)を故意に、意識的に引き抜くことである。ある霊媒の場合には、引き抜きは起こるが、無意識的であって、故意ではない。霊媒がこのようになると、体が多かれ少なかれ、硬直症的になる。しかし、アデプトの場合は、アストラル形体のなくなったことに気づかれない。なぜなら、肉体感覚がはっきりとしており、物思いに耽っているようにしか見えないからである。

さまよっているアストラル形体の動きには、時間、空間は何の障害にもならない。オカルト科学に熟達している魔術師は、自分の肉体を消したり、外見上、自分が選んだ形体をとっているように見せることができる。アストラル形体を様々な形で人に見せることもできる。いずれの場合も、このようなことは、あらゆる目撃者が同時に体験する、メスメル術による幻覚で起こるものである。それはメスメル術師の抵抗できない意志によって人の意識に印象づけられた、心の中の画像でしかないのに、この幻覚は現実と寸分の違いもないので、目撃者は自分は本当のものを見たと、命をかけて言い張るだろう。

 ( 10 ) 魔術の基礎は磁力と電気の特性、相関関係、可能性に精通した実用知識である。特に必要なことは、動物界及び人間の中、そして動物と人間に対する磁力と電気の作用を知ることである。多くの鉱物には、天然磁石と同じように不思議なオカルト性質がある。それはいわゆる精密科学は全く知らないものであるが、魔術を行なうすべてのが知っていなければならないものである。植物にも不思議な性質は驚くほどたくさんある。ヨーロッパの科学が「夢見草」や魔法のハーブの秘密を失ってしまっているだけである。

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