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魔術の定義

< 魔術の定義 > 

僕はGD系の魔術をイスラエル・リガルディー氏の書の翻訳本で勉強をしましたが、日本で西洋魔術の草分け的な存在といえばI∴O∴Sを主宰するところの秋端勉氏が秀逸です。以下先ず魔術の導入部である「魔術とは何か?」というところの記載を転載しますが、詳しいところは次のサイトへ行ってご覧ください。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/

魔術に関した豊富な資料の宝庫ですから、ゆっくりと勉強して下さい。

では、以下外陣講義文書「第一講義文書」( 0 = 0 プロベイショナー ) 

霊的啓発篇より 引用

1.魔術の定義(魔術とは何か)

色々な先人が魔術を定義してきました。英語では魔術をMagicという(Magickと書く一派もある)。この言葉の語源は、ペルシア語のマギである。英語でマギというとキリスト生誕を祝福した東方の三賢者を指す言葉である。ペルシアでは、魔術師=賢者をマゴスと呼び、その複数形がマギであった。それからすると、英語で魔術師をメイガスと呼ぶのはより語源に近い表現だ。

さて、古典古代には《魔術》を指す言葉は幾つかあった。魔術の高等な部分は《神聖魔術(テオルギア)》と呼ばれた。後にこれはキリスト教の《神学(セオロジー)》になる言葉だが、そもそもの成立は《神》に関する学問である。神的観想(テオリア)を通じて、神に近づこうとする実践的試みであった。より願望追求的な部分は《魔術(サピエンティア)》と呼ばれ、堕落した黒い魔術は《妖術(ゲーティア)》と呼ばれた。それらは単に言葉の差ではない。

テオルギアは神の知識を啓示する学問で、神官が収めた。「汝自身を知れ(グノーシ・シアトン)」という格言で有名なデルフォイ神託アスクレピオス神の治癒所などがその代表格である。サピエンスは自然の理法を習得した魔術である。カバラの理解を背景とした、この学問は自然魔術、占星術、神占術、錬金術などを含み多彩な分野である。

ゲーティアは、ギリシャ・エジプト起源のパピルス文書から派生した。これは殆どが神聖文字や、エジプト神話学への知識がないヘレニズムの魔術師が筆記した文書である。だが、この伝統から魔術の《野蛮な名前(ヴェルバ・バルバリ)》即ち《異言(ゲーティア)》と魔術的意識の関係が明確になり、「生まれざる」者の儀式を生んだ。

どの魔術も不可思議をなす賢者のものだった。程度の差こそあれ、市井の民の知らない知識を占有した者たちだった。ではそれはどんな知識か?

魔術の中興の祖と呼ばれるフランスの先賢エリファス・レヴィの定義は次の通り:「魔術とは、賢者の時代から伝承されてきた自然の秘密を扱う伝統的科学である」。また黄金の夜明け団首領であるマグレガー・マサースも同様に:「魔術とは、自然の秘密の諸力を制御する科学である」と語った。

その後、いろいろな人が定義を試みた。最初はマサースの弟子となり、後には公然の敵となったアレイスター・クロウリーは興味深い定義をおこなっている:「魔術とは、主体の意志のままに変化を引き起こす科学、技術である」。それを受けダイアン・フォーチュンは、定義の意味範囲をやや限定した:「魔術とは、意志のままに意識に変化を起こす術である」これは心理学を学んだフォーチュンの深い実践体験からくる確信である。

意識という言葉を広い意味で解釈し、原始的・動物的超能力を起動するその赤外領域から、超人覚醒意識に代表される紫外線領域までの広範な意識スペクトルの総体として捉えるなら、フォーチュンの定義は正しい。無論、ユングの無意識もこの定義の中に包含される。W.E.バトラー氏は魔術についてこう語っている:「あらゆる魔術の基本的な目標は、人間の意志を自然や人間や人間や超感覚的な世界に押し付けて、それを征服しようとすることにある」。

引用終わり

魔術を学ぶ人にとって、この定義づけは重要なことです。

KOSEI