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KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

< 個の確立 > 

自分の意見を表現することは重要であり、「スピーチ能力」や「ディベート能力」あるいは「コミュニケーション能力」といった部分は、アメリカ人と比べると日本人には欠けている部分なので我々日本人としては積極的に向上させていくべき能力でしょうね。

そういった意味でSNS内とか友人間でも、自分の興味のある分野で自分の意見を発信していく、はっきりと述べるというのは自分自身の能力も高まるし、自分には無いところから発信された他の人の意見も聞けるし、それもまた自分を高めることにつながると思います。

我々はすごいことを大上段に構えても、結局国を構成しているのは個人です。また自分自身と他人とは一体なので、自分が他人から認められるような(規範とまで行かなくても)、自分自身を手に入れているかどうか、ということはとても大切なことだと思います。「自分自身を手に入れている」とは「自分とは何者か」がわかっている人、でも言えばいいのでしょうか。

社会のために個人があるのではなく、個人のために社会があるのででしょう。これは「個人主義」と呼ばれているかもしれませんが、「利己主義」とはまったく違います。

「人が運を開くのはその人本人への教育」ということです。僕がここで教育と言ったのは中高大の学校教育の意味ではなく、自分自身を知ること・何が正しいかを知る方法教える教育です。

僕自身のことをお話ししますが、じつは僕は占い師としての一面をも持っています。私の占いの師匠は永田町議員会館に40年出入りしておりました某カリスマ占い師・陰陽師でした(故人)が、その方が師事されていたのが、かの「安岡正篤先生」だったのです。安岡先生は日本の歴代総理大臣を始めとした政治家の指南役として著名で、平成の元号を決めたのも岡正篤先生といわれています。

この安岡先生が儒教の「四書」の一つである『中庸』から一部分を引用し、日本国の節操のなさを戒めています。要は「隣の芝生は良く見える」で、自国の素晴らしさに気づかず、外国のものばかりに目がいっている、という話ですね。甘やかされた日本の思想家・評論家・社会運動家とかは日本国家のことになると、何でもケチをつけたがる。外国ばかりがよく見える、というわけで、アメリカ崇拝⇒イギリス崇拝⇒ムッソリーニ礼讃⇒ヒトラー崇拝、敗戦後は再び英米崇拝⇒進駐軍崇拝⇒スターリン崇拝⇒毛沢東崇拝⇒周恩来崇拝。外国のやっていることは皆よくて日本でやっていることはみな悪いのか?これでは恵まれているのに自分の境遇に気づかない金持ちのドラ息子と同じだ、ということなのです。

ひるがえって、これを個人にも当てはめてみてください。あなたでなくては出来ないことが必ずあるはずです。その「リソース」を見つけることが先決ではないでしょうか。あとはそれを伸ばしていくだけです。他人が何と言おうとあなただけのものを見つけガンガン伸ばす。自分にフィットしたものは不思議と進歩が早いです。個の確立です。

KOSEI