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KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

天人一体観

< 天人一体観 > - 人間は最も偉大な自然である。2016/01/10

むかしから、よく「人間小さくまとまったらイカン!」みたいなことを言いますが、自分がそこそこできる範囲で小さくまとまってしまい「専門家」として幅をきかす、そのようなことを戒めているのが、安岡正篤先生の言葉です。

・・・・安岡正篤先生「運命を開く」より引用

西洋の思想学問は特殊なものを除いて通例「自然」と「人間」を分けて考えておりました。はなはだしきに至ると、この文明の発達を、「人間が自然を征服することである」と考えておりました。今やそういうことを言う者があるとすると、これはよほど文明から遅れた人種でありまして、学会の権威者は、もうそういう考えの根本的に間違っておることを、それぞれの立場から皆、立証しております。

しかるに東洋の方では、自然と人間を一貫して考えておりまして、別ものとは思っておりません。というよりは、むしろ自然の中から発達してきた最も偉大な貴重な自然が人間であるという考え方、これを東洋では「天人一体観」と申します。

これをヨーロッパへ戻しますと、たとえば、誰知らぬ者のないアインシュタインを半円とすると、合わせて一円になる他の半円は、タイヤール・ド・シャルダンであるといわれます。古代生物学、地質学等のオーソリティで、東洋研究家でもあります。そしてまた、天主教の司祭でもあります。

この人などは、まったく東洋の「天人一体」を、その西洋学的立場から唱導しておりまして、『現象としての人間』という名著もございますが、この人に言わせると、この宇宙の中から地球が造られ、最初は水と水蒸気の雲霧濛々たる時代であった。即ちatmosphereまたhydrosphereであったが、それからだんだん無機物の世界geosphereとなり、そこから有機物世界biosphereが発展してきた。その有機的生命世界から、次第に高等生物、ついに人間というNoosphere=ノースNoosというのはギリシャ語で、心という意味であります。ノースフィヤー、心の世界、つまり宇宙発展史上に人間を位置せしめておる。自然と人間とを一貫過程においておるわけであります。これは、まったく東洋流の考え方と一致しております。

そして人間というのは、そういう進化過程に一番遅れて出てきたものである。非常に早く特殊化した「えび」とか「かに」とかいうものは、進化過程に早く分れてしまった「スペシャリスト」だが、これに反して大器晩成の最たるものが、まさに人間でありまして、長い生物の進化過程を、悠々と歩んで、一番晩成したもの、こういうものを「ゼネラリスト」と申します。

人間でも、あまり早くスペシャリストになってはいかん。なるべく素朴に、純真に、大器晩成を考えていった方がいいということは、こういう進化過程を見てもわかるのであります。

引用終わり

たしかに「専門化」の落とし穴というモノがあるような気がしますね。その世界しか知らないような人間が出来上がってしまうと、その人間は進化が止まってしまうのです。

KOSEI