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黄金の夜明け団 カバラ・生命の樹

< 黄金の夜明け団 / カバラ生命の樹 / 至高者のセフィロト >

多くの魔術結社では、ユダヤ・古代哲学の、宇宙原理を閉じ込めてあるカバラの「生命の樹」を使って瞑想をします。ではこの「生命の樹」の解説を『黄金の夜明け魔術全書・上巻』から引用します。

★ここから引用開始

 最初のセフィラはケテル(KThR・כתר)《王冠》と呼ばれる。《不可知》よりの最初の顕現であり、《無限の光》の最初の集約である。この天上の樹の輝く頂点としてのケテルは、もっとも深い意味での《己》であり、また実体の究極根源である。(KOSEI註:これは潜在意識の下の深層意識=インド唯識哲学で言うところの”アーラヤ識”のことかと思います)ケテルは人間意識の神的中枢を構成しているー人間と呼ばれるものを構成している他の原理は、いわば中核の回りにタマネギの如く層をなしているようなものである。この形而上的宇宙的中心から、二元性が発する。すなわちこれが二種の際立った能動的原理であり、一方がコクマー(ChKMH・חכמה)《叡智》と称され、他方がビナー(BINH・בינה)《理解》と称される。ここでわれわれは男性と女性、積極と消極、陰と陽、水と火、精神と物質などの両極性の根源を有することになる。そしてこれら二観念はわれわれが目撃している生命の多様な対立の本体である。

 ケテル、コクマー、ビナー、これら三種の流出はある特定の点に於いて唯一無比であり、とくに「闇を照らす光」を象徴する。《光》は闇を照らし、それ自身の存在の減少を被りはしない。したがって《至高者》(三セフィロトはこう呼称される)の作用は、その潤沢な存在から満ち溢れ、それでいてなんら源泉の実体ないし無限の活力を減少させることがない。ゆえに《至高者》は自ら発する下位セフィロトとほとんど関係がないと考えられている。せいぜいが、茎と根の関係程度であろう。しかし、現象宇宙とはほとんど哲学的関連がないが、われわれが魔術作業に従事する際は、まず《至高者》の影響力を召喚することで自分を開くのが慣習ーほぼ必須ーになっている。そうすれば《至高の光》の神的力が人間精神に降臨し、儀式の目標を聖化し、達成するであろう。《至高者》はしばしば象徴的に図表化され、太陽を身にまとい、星冠をいただき足下に月を置く女性として描かれるー現代心理学でいえば、アニマの曲型的姿といえよう。

★ここまで引用

上記「儀式の目標を聖化」するのは、意外と大切な作業です。そうしないと、その儀式そのものが邪悪な儀式に陥ってしまう恐れがあるためです。よく「神をまとう」とかいう言い方をすることがありますが、あれです。秘密儀式は洋の東西を問わず場を浄化し自分自身を浄化するところから始めるのです。

あとケテル(あるいは《至高者》)は、ヴェーダ哲学やヨーガでいうところの《超意識》ではないかと思います。私は最近アーユルヴェーダを勉強し始めましたので、間違っている可能性は高いですが。

KOSEI