KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

曹操注解・孫子の兵法

< 中島悟史著「曹操注解・孫子の兵法」 > 2016/02/01

「 勢篇 - 兵法の根幹は無限の独創性 」より引用

■感覚を麻痺させる戦術

老子』第12章の「5つの色を存分に使えば、変化自在に目の感覚を麻痺させることができる。5つの味覚を存分に使えば、変化自在に舌の感覚を麻痺させることができる」に対応する。感覚の刺激と麻痺が蔓延する現代でも、この原理は不動である。

 敵軍と衝突して戦闘をするプロセスも、究めていけば五音・五色・五味のように、この正攻法と奇策の二つの単純な組み合わせにすぎない。

 しかし、その二つを基本にして編み出される兵法の戦術作戦は、やはり無限のバリエーションがあって、一つ一つにわたって説明することはできないのである。

 正攻法と奇策は、一つの輪のように両端がつながって回転しているものである。したがって、物理数学の《メビウスの輪》のように、ある時は表になり、ある時は裏になり、ある時は正攻法をとり、ある時は奇策に出て、勝利のチャンスがめぐってくるまで循環を続けるのだ。

 この兵法の無限のあり方をすべて説明しつくすことは誰にもできないであろう。

メビウスの輪

銀雀山簡牘(ぎんしゃくざんかんどく)には、《奇正環》とある。これは《メビウスの輪MOEBISSCHER BAND》を意味する。帯を輪にする時に一回ひねって、表と裏を逆につなぐ。その輪は、表から裏に周回して八の字の軌道を走る。そこで数学では、これを《表裏のない曲面》あるいは《可符合でない曲面》という。この銀雀山竹簡の一語は、孫武の《奇正》の概念を立体的に表現しているものであり、近代的な位相幾何学によって、はじめて評価される孫武の数理学・物理学的発想の結晶である。

 『黄帝四経・十大経・前道篇』の「天地自然の道理は源泉のみがあって、終端がなく循環している」に対応する。

★引用終わり

「ある時は正攻法をとり、ある時は奇策に出て、勝利のチャンスがめぐってくるまで循環を続けるのだ。」とはまさに至言ですね、何か物事が一見動かないようなときでも、実際に携わっている人は、ある時は正攻法、ある時は奇策、というようにあの手この手を尽くしているはずです。そしてそれでも結果が出ないのであれば、機(チャンス)が至らなかった(廻ってこなかった)のか、あるいは機(チャンス)を捉え損ねたか、またあるいは正攻法も奇策も駒(数)やバリエーション(パターン)が少なかったのかもしれません。人生は戦争の兵法と同じです。

KOSEI