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プログラム開発工程<元SE独白記>

<元SE独白記>プログラム開発工程  2016/06/13

僕が現役SEだったころはパソコンやワークステーション上での開発という現場はありませんでした。すべて「大型汎用機」と呼ばれるものでした( 「メインフレーム」とも )。メインフレームとパソコンの違いをみてみましょう。

コンピュータにはCPUというものがあります。これはCentral Processing Unit 中央演算処理装置ですが、現在パソコンのCPUはマイクロチップ化されていますが、メインフレームのCPUは、どデカイ箱であってその箱が中心だったわけで、なので「メインの」「フレーム(枠・箱)」と呼ばれていたわけですね。メインフレームのCPUは「TTL」「ECL」と呼ばれるものですが、マイクロプロセッサのCPUは「MOS」と呼ばれるものです。マイクロといわれるだけあって「集積度」はすごいのですが、いっぽうメインフレームのCPUは集積度が上げられないため、複数のチップから構成されていたのです。しかし処理速度はメインフレームのCPUのほうが速いです。

僕は若い頃から趣味でマイクロコンピュータをいじっていたため、メインフレームの部屋に入って「これがCPUだよ」といわれたときは「???」でした。ピンと来なかったですね。(初期のころのメインフレームは特にですが)人間考えすぎると頭が熱くなってきますが、CPUも同じで発熱が大きかったのです。コンピュータルームに入ると、24時間体制でクーラーがガンガンきいていて、理由をあとで聞いて納得しました。最初は「オペレータ(操作員)は皆暑がりなのかな?」と真面目に考えていました。

 IBM_704_mainframe

しかし1990年代に各社ともCMOSマイクロプロセッサに移行したそうですが、発熱量も同時に下がったとのこと。じゃあ処理スピードも下がったの?と思いきや、マルチプロセッサ化で性能をキープしたそうです。僕が現場にいたころはちょうどそのハザマのころだったようです。「現在は独自仕様のマイクロプロセッサを複数(最大64個など)搭載するものが多い」とWikipediaにはありました。

メインフレームの定義を見ると、「企業の基幹業務である組織内部の処理と、大量または機密性の高い処理に利用する大型コンピュータを指す。」とありました。構造化や分散処理の波がメインフレームを「滅び行く恐竜」扱いしていますが、じつはいまだにまだ製造し販売しているのです。もちろん全盛期よりははるかに台数は少ないですが。理由は組織内の機密処理をオフラインで行えば機密性は上がるためでしょうね。

ところで、僕がメインフレームの世界に入って仕事を始めたころの開発環境は、いま考えても或る部分は笑えるものがあります。その当時の僕のプログラム開発の流れを再現してみましょう。

昨日のブログでも書きましたが、プログラム仕様書が手元に渡ってきたらまずプログラム・フローチャートを作成します。

1)コーディング・シートと呼ばれる紙に手書きでコーディングします。間違えたら消しゴムで消して書き直します。

2)コーディング・シート上にすべてのコーディングが完成したら、これをあるところに届けます。これは届ける係りの人がいるので申請をして待ちます。

3)自分でコーディングしたプログラム文を、いったいどこに届けるのかというと、「キーパンチャー」という人のところに届けるのです。早くて数時間、遅くても数日のうちにはキーパンチャーがパンチしたカードがプログラマーである僕のデスクに届けられます。このキーパンチャーという職業は若い女性がやります。一度見ていたことがありましたが、イヤ、その速いこと速いこと!指なのかキーボードなのか見分けがつかないほど・・・・。僕がキーパンチャーに「きみはサイボーグ?」と聞いても誰も同意すると思います。

4)次はその穴の空いたカードを持ってコンピュータルームへ行きます。ここでは入室の時に自分のID、所属部署、氏名、処理内容を記入して入室。オペレーターがカード読み取り機にパンチ済みカードをかけて、フロッピーディスクに読み込みます。それをもらって自分のデスクに返ります。コーヒーでも飲んで一服してから、端末が並んでいる部屋があるのですが、そこへ行っていまもらってきたフロッピーの中身を端末に表示して内容をチェックします。間違いがあれば修正します。

言っておきますが、メインフレームがあるビルは自分のデスクがある部屋や端末が並んでいる部屋があるビルとはかなり離れたところに在るので、いったんビルを出て他のビルまで徒歩でトボトボと移動するのですから、面倒なことこの上ないです。書いているだけで疲れてきましたので続きは明日にします。

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