KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

経歴その2

人生の区切りをどこに置くかというと私の場合は19歳だ。

あの歳で定職にもつかず、アルバイトを転々、今で言うフリーター。いまは閉館となった新宿コマ劇場というのが新宿にあって、真冬の1月29日コマ劇場の正面玄関の飾り付けを替えるバイトをしていた。

十尺(約3m)の脚立を二つ並べ立てその最上段に立ちAからBの脚立へ移動しようとしたその時、「飛べ!飛べるぞ!」という声無き声に導かれ私の足は空を飛んでいた。

しかし飛べずに落下。B脚立のステップのところに右大腿部をぶつけて複雑骨折。救急車で新宿百人町の春山外科へ搬送された。最初は牽引でしばらく引っ張ってから、という予定だったらしいが、結構早めにオペ。複雑骨折した骨片をひとつずつ拾っていかなければいけないので、オペ時間の見積りは4.5時間。しかしロクな準備もしないで始めたせいか、2時間目で血圧急降下、心肺停止。ドクターは慌てまくり患部を針金で固定して応急措置して、蘇生処置!

なんとか生き返り、全身麻酔から目覚めたらいろんな人間が私を取り囲んでいる。何ごと?などと考えている余裕は無い。吐き気、ものすごい頭痛、患部の激痛。身体中にはコードがブチ刺さっている。鉄腕アトムにエネルギーが注入されて動き出すといったような幻覚。ちょっと気持ちが良かった。

1週間は毎日こんな状態で。何と言ってもいくら鎮痛剤をブチ込んでもまったく効かない。オペ途中でやめたもんで寝返りも打てない。眠れない。このあとも、体力が回復するまでは現状維持で患部にギプスを巻いて寝返りうたずに3カ月。

さてそろそろ、体力も回復してきたので二回目のオペを. . . と言ってレントゲンを撮ったら何と応急措置でラフな状態のはずの大腿骨が正常な形に復活している!という。ホントかなとは思ったが、まあまた全身麻酔せずに済んだということて、まずはメデタシだ。

じゃあそのままで一気に回復へ!

ギプスを外してリハビリ。3カ月間起き上がらずにいて起き上がった時のことを今でも覚えている。上半身を起こしただけでめまい。起き上がれない?少しずつ起き上がり、2日くらいかけてようやく正常な姿に。

さらに院内で数ヶ月過ごして約一年間を経て退院。自宅療養となる。

このまま社会復帰していれば良かったが、そうは行かなかった。

退院直前に大腿骨の内部に固定目的で打ち込んであった銀の棒をもう要らんとばかりに抜いてしまい針金も外した。

ところが針金が巻いてあった部分のみ骨が充分に成長せずに、脆弱だったため、自宅療養中に何と再骨折!

川崎労災病院に再入院。約3カ月の入院。

ここで私の怪我遍歴を披露します。

1 ) 中学時代に自転車乗って走行中横断歩道を自転車に乗って横断していた。そこへ大型ダンプカーが走ってきた。そのままだとぶつかる。しかし私は逃げなかった。正に正面衝突。私の身体は180度回転し、頭が下へ。ダンプカーのヘッドライトと私の頭蓋骨との一騎打ち。約5分間気絶した。出血し生温かい血液が肩を伝わり流れて来た。しかしダンプカーのヘッドライトも割れた!私は一矢報いたのだ!負けなかった!しかし1ヵ月の入院。

2) ガソリンスタンドでも災厄に遭った。私はガソリンスタンドでバイトをしていたがダンプカーの荷台を上げるためのポンプがあるので、そのポンプのグリスをチェックしてくれ、と先輩に言われアタマを突っ込んでチェックしていたがその先輩が誤って荷台を下ろしてしまい、大惨事に!私の上歯と下歯は食い違い頬には亀裂が。私のアタマはダンプカーの荷台に挟まれてしまったのだ!

私の頭部は内出血で晴れ上がり、全治3カ月。

内臓は丈夫だが怪我が多い。

じつは、この続きはまだあります。

KOSEI