KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

人間学とは?

正岡正篤(まさおかまさひろ)という人物がおりました。この方は東洋思想の研究家なのですが、単なる学者ではなく、大きな働きをされています。ウィキペディアには次のようにあります。 

自民党政治家のアドバイザーとして主に東洋宰相学、帝王学を説き、彼らの「精神的指導者」「陰の御意見番」「首相指南役」の位置にあった他、1958年には岸信介安倍源基木村篤太郎らとともに「新日本協議会」を結成、安保改定運動や改憲運動などに関わった。東洋古典の研究と人材育成に尽力する一方で、「体制派右翼」の長老としても政財官界に影響力を持ち続けた。また、「平成」の元号の発案者と言われている(1990年に竹下登が記者会見で示唆)。「全国師友協会」は遺言もあって解散したが、各地域の支部がそれぞれ独立した団体として活動を続け、その思想を継承している。安岡には政界だけでなく、財界にも多くの心酔者がおり、三菱グループ近鉄グループ住友グループ東京電力など多くの財界人をも指南していたとされる。

終戦時、昭和天皇自身によるラジオ放送の終戦の詔書発表(玉音放送)に加筆し原稿を完成させたことから皇室からも厚い信頼を受けていた。数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡を頼りにしていたことから「昭和最大の黒幕」と評される。

私もなにか問題が起きたときには安岡先生の著書を指針としています。さて安岡先生は、『致命と立命』という本の中の『人間学の第一条件』というセクションで、旬子のことばについて解説しています。

ここから引用

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“本当の学問というものは、立身出世や就職などのためではなく、窮して苦しまず、憂えて心衰えず、禍福終始を知って、惑わないためである。[旬子]”  「人間学の第一条件」ということになりますと、大事な二つの条件が存在します。これに比べますと、他のことは枝葉末節であります。その根本的な二つの条件とは、つまりそういう学問の内容、目的であります。たいていの人々は、特に現代人は、学問というと多く知識の学問にとどめて、しかもそれを立身出世のため、職業のため、就職のための必須の手段としておるのであります。学問の本質は、今のように深く考えてくればくるほど、単なる立身出世だの、就職などの手段ではないのであります。第一条件は、もっと「人間の本質的完成のため」でなければならない。

そのことについて、私はいつも旬子(じゅんし)の論を拳々服膺(けんけんふくよう)しているのであります。旬子は孔子の門より出て、孟子と並び称せられる人であります。日本では『論語』『孟子』は読みますが、割合に『旬子』を読みません。しかし旬子はどちらかというと、客観主義的なところがありまして、これから法治主義思想も流れ出ているのであります。この旬子が本当の学問というものは、立身出世や就職などのため(通のため)ではなく、「窮して苦しまず、憂えて心衰えず、禍福終始を知って、惑わざるがためなり」と言っているのであります。窮して苦しまないということ、憂えて心衰えないということ、何が禍いであり、何が福であり、どうすればどうなるかという因果の法則-禍福終始を知って、人生の複雑な問題に直面しても、敢えて惑わない、という三条件を提出しているのです。

これは我々にとってまことに痛切な教えであります。確かに学問の第一条件はここにあると思うのです。窮するということ、心配事というものは、人間として常にあることで、世に処する以上、免れないことである。しかしそれだからといって精神的にまいってしまうということでは、我々の人格の自由や権威はないわけであります。

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ここまで引用

世の中の変革を叫んでみたところで、この世の中を構成しているのはひとりひとりの人間です。そのひとりひとりの人格が向上していかないことには、世の中の変革は机上の空論に終わってしまうでしょうね。

 

大悲心陀羅尼==これは曹洞宗のものですが、他にも真言宗のものもあります。キャロラインダラニともいい、この陀羅尼を唱えるものの姿は魔物から見えなくする、といわれている有難いお経ですが、『大悲円満無碍神呪』とも呼ばれ、運気が集まってくるとも言われているお経です。御自分のペースでよろしいのでお唱えになっては如何でしょうか?

https://www.youtube.com/watch?v=gbxgY8BquHY

 

Kosei