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黒魔術とは

黒魔術とは?

一般に呪術の対象となる人を呪殺したり、自分の願望をかなえるために行う魔術を「黒魔術」と呼んでいます。

日本でもよく知られているのは西洋の「GOETIA(ゲーティア)」というもので、これは古代バビロンのソロモン大王が駆使したといわれている72柱の悪魔を召喚して願い事を叶えるものです。召喚と今言いましたが、これは平たく言ってしまえば「呼び出す」ことです。しかし正確には人間より霊的に高い位の神仏や天使などの場合を呼び出すときは「召喚」という言葉を使いますが、人間より低い位の霊的存在物(悪魔・魔神・夜叉等)を呼び出すときは、「喚起」といいます。これはSFやゲームなどに頻繁に登場するので多くの人が悪魔の名前まで知っているようですね。

しかし一般に言われている「自分の願望をかなえるため」といっても、病気を治したいとか、そういった願望はどちらに入るのでしょうか?ちょっと考えさせられるテーマですね。ここで、ひとつ日本の「まじない」と呼ばれるものを見てみましょう。もちろんこれもやはり白と黒があります。当然呪殺などは黒になります。

黒住教(くろずみきょう)は1814年に黒住宗忠(くろずみむねただ・1780~1850)が開いた神道系の宗教です。備前国御野郡上中野村(びぜんのくにみのごおりかみなかのむら=岡山市大元)に今村宮(いまむらぐう)の禰宜職(ねぎしょく)の三男として生まれた宗忠は1813年に労咳(ろうがい=肺結核)になり、翌年正月には容態が悪化し、危篤状態に陥りました。同月19日に、もはや助からないと死を悟った宗忠は、この上はじたばたせずに死のうと決めました。死んでから神になって、自分と同じ病気で苦しむ人を助けようと考えたのです。すると不思議にも心が落ち着いてきました。それとともに何故病気になったかを思い起こしてみた。大病になったそもそもの発端は父母の死でした。それを嘆き悲しむあまり、陰気になり病気になったのです。心が陽気になりさえすれば、治るはずだ。死を願うよりも、息をしている間だけでも陽気を心掛けることが真の孝行ではないか、そう思い返すと、病状は快方へと向かったのです。

その年の3月19日、身体は衰弱していたが、入浴して、太陽を一心に拝んで日拝すると、全身に力がみなぎり、一時に全快した。同年11月11日、冬至一陽来復の朝、日拝して祈っていると、太陽の陽気が身体全体に満ちわたった。その一団の温い玉のような陽光丸ごと飲み込んだかと思うと、形容しがたい心地よさ、楽しさに包まれた。その後宗忠は陽気を吹きかけてまじない(禁厭)をおこない、数々の病に苦しむ人を助けていった。

黒住教によれば、陽気の根源である天照太神は万物の親神であると同時に、万物を生成化育する絶対神でもあり、人間はすべて天照太神の神の子であるから、陽気の神徳を有り難くいただくことによって、魂は生き通しとなるという教えなのです。

まじないは「混じりない」の略称であると宗忠は述べています。宗忠が行うまじないは、迷信めいた胡散臭いものではなく、混じりがない純粋純正なものであると位置づけたのです。

純粋に人の病気治療を想ってかけたまじないは、病人の願望を満たすために行うものですが、果たして黒魔術かどうか?

 

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