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自分の可能性をどこまでも

喧嘩芸骨法・堀部正史師

一水会フォーラム講演録より

堀部正史氏の講演記録です。堀部先生は「喧嘩芸骨法」で、武術界では有名な方です。僕も若い頃は武道が好きで、フルコンタクト空手道場で武道の修練に励んだ時期がありましたが、堀部先生の道場にもじつは一度だけ、お邪魔し体験訓練を経験したことがあります。とにかくハードな訓練でした。

そこで、「一水会」ですが、この団体は「理論右翼」として知られる団体です。右翼と名打ちながらも、「極左」の戦法に学べと主張する団体です。宣伝カーで大声を上げている人たちは本物の愛国者でもなんでもない、ということですね。極左」の戦法とは一般市民に溶け込み情報収集し、仲間との連絡を密にし、事あらば蜂起をと準備に余念がない・・・、といった行動形式です。さてこの「一水会のフォーラムですが、平成20年10月15日の講演の内容の概要を以下に示します。非常に正論であると僕は考えます。

明治政府は戦国時代以来の農村の慣習を西洋的に改め「地券」なる公文書で農地の所有権を決めるようにする。また共同ではなく個人責任で地租を「金」で払うようになり、農地も投機の対象として売買できるようになった。そして明治6年以降に誕生したのが「地主」である。

地主は儲けることしか考えない。昭和5年には農地の半分が「地主」の所有物となり、農民の大多数は「小作人」という貧農が占めることになる。「地主」も「小作人」も明治6年以前は存在しなかった。

そして昭和20年の敗戦後、占領軍が入り軍国主義の廃絶をもって、「農地改革」を断行。「地主」から農地を没収し「小作人」に再分配させ「自作農」が誕生。

しかし明治以降崩壊した農村から農民が都市に流出し、低賃金を強いられることで社会不安が生まれる。アメリカは日本社会を変える為にはその基盤である農村を変える必要があると思った。しかし日本では「地主」も「小作人」も明治以前から存在していたのだと信じられ、その歴史を深く恥じるようになった。挙句の果ては「軍国主義の下、自国の国民に犠牲を強要させ、アジア諸国を侵略した」と裁かれ憲法第九条が誕生した。しかしここで問題なのは、過去を通して軍事力を背景にして自由貿易を強いて来た欧米人に日本の「軍国主義」を裁く資格はあるや否や?

日清、日露戦争で勝利することでしか、不平等条約の改正や、関税自主権を手に入れることは出来なかった。我々が軍事的に強国にならなければ、欧米は「文明国」として認めてもくれなかった。

それをただ単に「軍国主義」として片付けるのは、歴史を歪曲、捏造するものではないだろうか?逆に歴史を捏造する西洋列強に、アジア、日本の立場より弾劾しなければならない。近代文明が行き場を失っている今、改めて近代文明が何を生み出したのか、ということを理解すべきでしょう。

堀部先生は「ケンカ芸」を売りにしておりますが、単なるケンカ屋でないことはこの発言を見ても理解できます。僕はすっかりあの当時から今現在に至るまで堀部先生のファンであり、心の中では弟子入りをしています。なぜならこの僕の年齢ではとてもあの稽古にはついていけませんから。 

 

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