KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

病弱に克つ

病弱に克つ

安岡正篤著「運命を開く」P180より

私淑する人物につれて、持つべきものは、愛読書、座右の書というものです。憂きにつけ悲しきにつけ、疲れたにつけ淋しいにつけて、繙(ひもと)く心の書というものを持つ必要があります。しかし、そういう志をもっておっても、もし我々が病弱であったり、頭が悪くてはだめだろうか?貧乏育ちではだめだろうか。忙しくて暇がない身ではだめだろうか。「身体が弱いからだめだ」「頭が悪いからだめだ」「なにぶんにも貧乏で・・・・」とか、「忙しくてとても・・・・」とは、普通の人のよく言うことです。はたしてそうでしょうか。

そういうことは決してない。あるとすれば、要するに怠け者の逃げ口上、薄志弱行にすぎないということを、次にいささか歴史的事実によって確かめてみましょう。これを知れば発奮しない人間はありますまい。これでも発奮できないなら、よほどの惰夫、怠け者と言わなければなりません。

「自分は志を持たぬのではないが、如何せん体が弱い。不幸にして病弱なために勉強ができない」と、いかに多くの青年男女が悲観していることでしょう。

一応もっともです。しかし甘い同情は何にもなりません。むしろ気概のある者からすれば唾棄(だき)すべきものです。病弱は志の如何によっては、時にその逆ですらあり得る。病弱なるが故に勉強できるということも言えるのです。病弱で勉強ができぬということは絶対にない。よくよくの重病ならば別、いや重病なら重病の学問・悟道もあるはずです。まして病弱でできないなどとは言えません。そんな人間は生きる意義も価値もない。死んだ方がましだ!と考えたらそれから勇気が出て、丈夫になるかもしれない。そういうものです、人間の妙理というものは。

おそらく誰知らぬ者もない「廃人の奇跡」はヘレン・ケラーHelen A.Kellerでしょう。この人はナポレオンと共に、19世紀の奇跡と呼ばれた婦人です。これは生まれると二歳の時、脳膜炎をやって、眼も耳もだめになってしまった。これは実に悲惨なことです。幸いに家がよかったので、両親が非常にこれを悲しんで、あらゆる方法を講じたけれども、どうにもならない。それでも諦めずに、あの電話の発明で名高いベルの助言を聞き、またサリバン女史という非常に立派な慈悲と智慧に富んだ婦人がありまして、この婦人につけることができました。その温かい行きとどいた看護のもとに、この不幸な少女は無事に育って、育ったばかりでなく、だんだん盲目で聾唖でありながら知能を啓発して、ついに数ヶ国語をよくするようになり、ハーバード大学に入って、当時婦人としては奇蹟的な業績を挙げるまでに至りました。19世紀の奇蹟のの一人と言われる所以です。このヘレン・ケラー女史が、ある席で述べた感想に、

『結局、人間は努力です。努力することによって開発されぬ何物もありません』

と語っております。これは人間の肝に銘ずべき至言であります。

イギリスのアフリカ開発を論ずるとき、必ず思い出される先駆者の一人はセシル・ローズCecil J.Rhodes(1853-1902)という人です。このセシル・ローズも19歳の時に肺病に罹り、普通ではだめだ、思い切った転地をしようと考え、彼は兄が南アフリカ事業をやっておったので、ひとりアフリカ辺へすっとんでやろうと、兄貴のところへ訪ねて行ったのが始まりで、それからあの大活動をやったのであります。史上こういう例は少なくないというよりも、むしろ人生にこんなことは、ありふれたことなのであります。

私の友人に、やはり中学時代に肺病になった者がありまして、これはむしろ貧乏なために入院だなんだと騒がれず、魚釣りが唯一の楽しみで、どうせ死ぬなら釣りでもするさと、毎日魚釣りを始めました。そして暇にまかせて、釣りに関する本をむさぼり読み、釣りの名人になりました。そして、いつの間にか肺病は退散してしまったのです。

肺病というものに心まで捉えられてしまって、いたずらに薬を飲んだり、入院したり、戦々恐々(せんせんきょうきょう)として、養生ばかりしたところで、それは生を養うておるのではなく、それこそ文字通り亡骸(なきがら)を温存するに苦しんでおるのです。病弱ということは少しも勉強の障害にならない。むしろ凡庸な人間、怠惰な人間、惰夫は、せめて病気ぐらいに罹らねば、救われる機縁がない、ということも決して冗談ではありません。病に関する故人の体験と名言、これを研究収集して「新病理学」とすれば、偉大な著作もできましょう。

僕は一日に一回は安岡先生の著作・至言に触れています。このお話は僕が好きな話の中のひとつです。じつは僕は内臓こそ人一倍丈夫で強い酒をガンガンいけますが、若い頃から怪我が多く体中怪我だらけです。右足が左足より3センチ短いです。19歳の時の怪我のためです。それが最近親しい友人からランニングを誘われました。僕は事情を話して辞退しようとしたのですが、その方の魅力あるお話に引き込まれ始めました。10日間ぐらい経った頃でしょうか膝と股関節の痛みが出てきました。勧めてくれた方がコーチのような形でサポートして下さっているのですが、「痛い時は走らないでください!」ときつく言われています。

その時にこの安岡先生のこのお話を思い出すのです。今回のこのお話はムリをしてガムシャラに突進して目標を達成しろ!といった根性論ではないと思います。なにがあっても最終目標に到達する。これが大事なところではないかと判断しました。この判断を間違えますと、「なにが何でも痛くても進め」といったまさに根性論になってしまいます。根性論はある人には向くかもしれませんが、多くの人には向かない。人は壁に当たった時に、智慧を出し、身体を使い、意識の状態を揚げて乗り越えていくべきです。僕は勿論スピードを緩めたり、腰の高さを変えたり、足の下ろし方(走り方)を変えたりして、痛くないような状態を工夫しながら走っていますよ!今朝もいまさっきマラソンから帰ったばかりです。

 

KOSEI