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大日本詔勅謹解 詔勅と宣命

< 大日本詔勅謹解 > 2016/01/14

「大日本詔勅謹解」という書物が「日本精神協会」というところから発行されています。昭和9年の発行なのですが、この手のものは、今は復刻版は出ていないと思います。内容は日本の歴代天皇の勅語を7つのテーマごとに編纂したものです。この「日本精神協会」設立趣旨を簡単にご紹介します。

以下、大日本詔勅謹解中『「日本精神協会」設立の趣旨』より引用。

ここから引用開始

いまやわが日本は、決然一大転換を行わねばならぬ時機に臨んでいる。一大転換とは何ぞ。欧米追随の態度を久しく続けて来た在来の不見識をやめ、皇道日本精神に基き、一切の改造改革を行わねばならぬこと即ちこれだ。現代日本が目ざましい発達を遂げたのは、明治維新により日本精神の目ざめを見たからである。しかし一方において余りに欧米模倣を事とした結果、利弊合せ伴い、ついに今日の行き詰まりをみたのである。

ここまで引用。長いので以降省略します。ここまででこの書籍の主旨は御理解いただけたかと思います。

昭和9年に発行されたものとはいえ、現代に充分通用するものです。

この本は全7巻あり、以下の通りの構成です。

1.思想社会篇

2.道徳教育篇

3.軍事外交篇

4.神祇佛教篇

5.政治経済篇

6.雑事篇及索引

7.詔勅と日本精神

私は「4.神祇佛教篇」以外は所蔵しておりますが、これは得難い書籍であり、かつまた内容も素晴らしいものなので、このブログにて、今後皆さんに内容を御紹介していくつもりです。日本の心を取り戻す助けになれば幸いです。

今後1.2.3.5.を中心に御紹介していきます。ボリュームが多いのでどの程度ご紹介できるか自信はないのですが、頑張ります。

 

「大日本詔勅謹解・思想社会篇」「緒言」より

注意:原文をそのままタイプしたわけではありません。もちろん原文をそのままご覧いただければ昔の旧き良き時代を感じていただけるとは思うのですが、我々が生きているのは今年2016年です。かつ内容をすべてタイプしていきますと膨大なものになってしまいますため、関係すると思われる、各ブロックでの要点のみをあげていきます。

緒言

1.詔勅宣命

詔勅(しょうちょく)とは、邦語のいわゆるミコトノリの意味で、天皇(すめらみこと)の御言葉を宣言するという意味である。古代は別に詔勅に関する制式はなく、文武天皇(もんぶてんのう)が大寶令(たいほうりょう)を定めるに及んで、始めて詔勅の制度ができた。詔・勅および宣命(せんみょう)の区別は、臨時の時に大事を宣言するのを詔といい、その他通常の小事に関するものを勅と呼んだ。

2.詔勅の制式

長いので省略

3.日本民族の固有思想

Part_1

本篇に収めるところの詔勅は、列聖(れっせい)詔勅のうち、特に思想問題・社会問題に関係があると思われるものを101詔選んだものである。故にいま講述に先立ち、日本民族の固有思想について一言する。固有思想とは、いうまでもなく大陸思想の影響をいまだ受けていない、すなわち日本民族が本来もっていたところの思想をいうのであるが、この問題を正確に述べることは、簡単なようであって、じつは極めて困難である。なぜならば第一に、日本民族が外国すなわち三韓(さんかん)や支那(中国のこと)との交通を開始したのを、どの時代と認定すべきかが問題であり、次に大陸文化の輸入を神功皇后(じんごうこうごう)三韓征伐以後もしくは応神天皇以後であると仮定しても、間接に被ったところの外国文化の影響(例えば九州地方の土民は大和朝廷の支配を受ける前、すでに大陸との交渉をもっていた如き)をいかに考えるべきか。殊(こと)に記紀の筆者たちが、当時すでに支那学及び支那思想の影響を受けていたであろうことは想像に難くない。従って応神天皇以前の事件として記されたことであっても、それが真に固有の思想なり信仰なりであったかどうかは、容易に即断し難い。しかしこれは理論上の問題であり、実際問題としては、応神天皇の御代(みよ)に公然と国交の始まった時をもって、わが国の固有文化の時代は終わったとすることは、大体に於いて間違っていないと思う。殊(こと)に固有思想と外来思想については、わが古代史に対する一通りの理解をもっていれば、ある程度は常識的にも判断しうるのであるから、今はこの見解に従って筆を進める。

Part_1おわり。次回へ続く。

このあとまだまだ続きがあります。

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