KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

ランニング修行

< ランニング修行 > 2016/01/25

 僕は2015/11/22、親しい友人の勧めで毎朝ランニングを始めました。しかし20歳の時に右大腿骨複雑骨折のため、右足にギプスを3ヶ月間しており、ギプスを外してからのリハビリで右膝を完全に壊してしまい、また複雑骨折により右脚が左足よりも3cm短いといった状況なので最初は始めるのを躊躇しました。でも同等な、いやもっと大きなハンディを背負っている人でもランニングをして痛みに打ち勝ったと聞かされて、ランニングを始めました。最初の日はメクラ滅法走ってしまい2kmほど走ったところでダウン!後は少しベンチで休んでから歩いて帰りました。しかしその次の日からは少しづつゆっくり走り始めました。「最初は少し早足で歩く程度でいいんですよ」とアドヴァイスされて、その通りにしたのです。しかしその少し早足のジョギングでも、1週間も走った頃に支障が出てきました。右脚の膝は痛くなりませんでしたが、それはおそらく左脚がかばっていたためであろうと思われます。右脚が3cm短いということは、走るたびに「カックン、カックン」とちんばになって動かしているはずです。そのせいでしょうか、左の股関節が痛くて痛くてしょうがないという状況に立ち至りました。とても走るどころではありません。そろりそろりと足を引きずっていたにすぎませんでした。それでも痛かったのですが、途中でやめるのは性に合わなかったので、ランニングならぬ「少し速めの歩き」を毎日していました。12分/kmかかっていました。普通の速度で歩いて僕は30分/2kmの速度ですから、その半分の1kmは15分で歩けます。ランニング(というかスロージョギング)で1kmを12分というのは、歩いているのとほとんど変わりありませんでした。

 さて、ランニングが終わってからが大変です。着替えがスムースにできない。シャワーに入る時に下着を脱いだり、シャワーが終わってから新しい服に着替えるときが一苦労です。つまり股関節が痛くて脚が上がらない!ゆっくりと激痛が走る脚をあげて着替えをしました。一回下着を脱ぐのに5分かかりました。履くのにまた5分。もう一度怪我をして入院していたときに逆戻りしたような感じです(病院ではまさにこの状態)。真面目に「ここで股関節を壊してしまいもう一生健常者の生活はできないに違いない」と何べんも思いました。家の中を移動するときも、ゆっくりゆっくり歩行です。さいわい僕は在宅ワークなので、仕事に支障はありませんでしたが、机に座っていて立ち上がるときがひと苦労。何かにつかまらないと立ち上がれないし座れもしないのです。就寝するにも起床するにも何かにつかまらないとダメです。階段の上り下りはもちろん手すりにつかまらないとダメです。それも一段一段確認しながら。一足先に老人になったような・・。

 でも誤解しないでいただきたいのは、僕にランニングを勧めてくれた友人は「痛かったら走らないで、休んでください、あるいは歩いてください」と何べんも仰ったのですから、この惨状は僕の自己責任なのです。

 そのときは走りながらこの痛さを失くすための走り方はないだろうか?と色々と、(今考えれば正しかったのかどうか判りませんが)工夫しました。左股関節がやられたのは右脚をかばっていたため、そのため、腰を全体的に落としてみたらどうだろう?実際にやってみましたところ、なんと痛みが確かに軽減される!つまりいままで左脚が全面的に右脚を守っていたから右膝は無事だったのだから、こんどは対等にするからな!という考えです。このときは嬉しかったです!こんなに単純なことで喜びを見出せるなんて・・・!人生って予想もできない!

 でも左股関節の痛みはそのときは一時的にでも痛くなくなったので、取りあえずはこの方法採用ですが、こんどは重心を落として走ったため、太ももの筋肉が破裂しそうになってきました。そのため、短時間やってまたもとの位置まで上げて、の繰り返しです。

 次に考えたことは、股関節の痛みはそのままでもしょうがないとして、このままの状態で、この1km12分という亀のようなスピードを何とかできないだろうか?ということでした。家の中を足を引きずって歩いているような人間がなにがスピードアップか!こうも思いましたが、自分で決めた「5km走る」という目標はぶれないようにしたいので、簡単な話、はやく走り終えたいという気持ちでした。そこでさらにひと工夫したのが「猫足走法」。かかとからゆっくり着地、土踏まず全体が土を舐めるようにして最後につま先へいき、つま先を離す。そうすると、ドカッとカカトを落とさないので、足や脚や股関節に衝撃が伝わらないのですネ。これを発見した時も嬉しかったです。走りを勧めてくれた人にメールで「猫足方法を考えました!」といったら「それ、どんな走り方?」ときかれました。説明に困りました。毎朝4時に起きて5時には走り出すのですが、5km走るのに1時間以上かかってしまいました。走っている時に他のランナーの方が僕をサーっと追い越して行って・・・、「あんなに速く走れればなぁ・・・」と思いましたが、まあこれだけ痛いとあきらめが付くというか、自分は別格なんだといった妙な優越感みたいなものを(ムリにですけど)感じたりして。

 履歴をみてみると20日間ぐらいは12分最下位地獄ですが、なにが起きたか覚えていませんが、21日目ぐらいから11分になっています。きっと様々な小ワザを駆使したお陰でしょう。猫足走法は股関節が痛くても驚くほど速度が上がりました。それにプラスして腰を落として・・・、朝早くて誰も歩いていませんが、もしも人がそのときの僕の姿を見たら笑っていたに違いありません。へっぴり腰で足をくねくねさせて、チャック・ベリーのように足をぴょんぴょん挙げて(これも僕が考えた新走法です)走っていたのですから、こりゃ滑稽。おまけにビッコときています。「あきらめずに続ければ筋肉が着いていくからね」と励まされ、痛くても続けました。結構長い間痛みは抜けませんでした。

 いつ頃から痛みが抜けていったのか覚えていませんが、走っていても急な負荷をかけなければ痛むことはなくなりました。筋肉がついて包み込むようになるって本当なんだなって思いましたね。つま先で蹴るようにしたり、上半身の緊張をリラックスさせたり(結構緊張タイプなので走っていて上半身が堅くなっているのに時々気づくのです)。

 今年の正月1月3日までは10分台を抜けませんでしたが、1月4日に始めて、9’50”/kmを出した時は嬉しかったですね。なにが嬉しいのかさっぱりわかりませんが嬉しかったです。そして1月9日には初の8分台、8’58”/km。部屋の中を歩くのも正常に歩けるようになっていました。一時の寝起きするにも股関節が悲鳴を上げていた、あのときの半病人のような状態からは信じられません。

 走っているときは楽しいことを考えてね、といわれていたのですが、とてもそんな余裕はありませんでした。しかし現在は痛みはまったく消えました。普通に走れます。とはいうものの、自分の脚の王国をないがしろにしてはいけないと思います。脚の声を聞き大切に愛してあげて、始めてうまくやっていけるんでしょうね。

 僕が痛みに堪えかねていたときに乗り切れたのは、このランニングを進めてくれた方のおかげです。なにかにつけ親身に相談に乗ってくれました。おそらくこの方の献身的な助けがなかったら、僕はランニングを続けていたかどうか自信がありません。僕は生涯この方を忘れることはできません。あとは、様々なものが僕に声援を送ってくれました。僕は中央公園という公園で池の周りを何周かするのですが、そこにいる「鴨」が、僕が通るたびに「ガァ!ガァ!」と鳴くんです。それが僕の耳には「へこたれるなよ、それぐらいの痛さで~。シッカリしてくれよ!」と聞こえたのです。僕はクリスチャンの家庭に生まれ育ちました。だから、すべてに神を感じるというクセがついています。行きずりの朝の散歩をしているご老人が、なぜか「おはよう!」とすれ違いざまに声をかけてくれるのです。それは「おはよう!」という言葉でしたが、「続けるんだぞ頑張れよな!」と言っているように思えてならないのです。

 そして今から思えば、痛みに苦しんでいたときに少しでも痛みを軽減するために色々と工夫した走り方は、なんと今役に立っているのです。さらに呼吸法を工夫することで走行中のコンディションが上がることも発見しました。走りながら色々と実験する癖がついてしまったのです。僕の走行中の楽しみは各種実験です。昨日は肩甲骨と腰のバランスという資料を送っていただきました。早速今日走りながら試しました、すると速度が目に見えて速くなり今日の平均速度は8’25”/kmでした。

 速度は上がりました、世の中には意外なことがおきるものだなぁとつくづく思います。1ヶ月半前までは椅子に座るのも辛くて、12’00”前後/kmかかっていた人間が今は8’25”/kmの速度です。これはどうしてだろうと考えて見ました。ひとつはランニングをすすめてくれた友人を100%信頼していたこと、もうひとつは実行継続。僕は若い頃「商品先物取引」の営業をやっていました。「商品先物投資」は、タイミングを間違えなければ短期間で元本が膨らみます。ある日僕は友人に「砂糖」の取引をすすめました。かれは僕を「信頼」して50万円を投資しました。1週間たちました。するとなんとその50万円は100万円に増えてしまったのです。これはプロであった僕のアドヴァイスにしたがって彼が行動した結果です。ところが、僕が「もう売った方がいいよ」とアドヴァイスしたにもかかわらず彼は売ろうとしませんでした。「欲」が出てきたのです。その結果元本もすべて失くなってしまいました。行動はとっても信頼のおける人を最後まで信頼しなかった惨めな結果です。世の中総ては心の訓練と成熟。

 今回ランニングも友人を信頼して動きました。なぜなら僕は自分が直感的に間違いないと思ったこと以外は行動しないのです。だから失敗はありません(もっとも情報と経験が乏しい若い頃はその分失敗は人より多かったです)。痛みに泣いていたときでも間違いはないはずだと信じていたので、ランニングをすすめてくれた友人には、日常生活にも困るほどひどい痛み、などという事はいいませんでした。やめなさいといわれたでしょうし、もしやめたら今の僕はなかったはずです。ダメだと思っていたことが一転して成功の花道に躍り出る!これだから人生は面白い!

また報告ブログを書きます。

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