読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

KOSEIのブログ

自分の可能性をどこまでも

神秘学を日常に

日記 哲学

2016/08/21

僕の一日は単調な一日です。朝は3時半起きして「八段錦法」という中国の導引術に由来する健康体操をみっちりやります。やることも単調で毎日内容を変えたりしません。午前4時前後までには洗顔をすませて、その後おおよそ50分間、読書の時間に当てています。この時間帯が僕にとって「黄金」の時間帯です。起きたばかりで頭が冴えているので、理解力や記憶力も抜群です。

その後5時には家を出ます。どこに行くかというと「散歩」です。ウォーキングですね。別に正式にウォーキングとして誰かから習ったわけではないのですが、もう10ヶ月ぐらいは続けています。以前はランニングをしていたのですが若いころの怪我が原因で右膝が痛くなったため、ランニングからウォーキングに変更したのです。

最近散歩に出る前の1時間に勉強した内容を散歩中に瞑想しながら歩くようになりました。散歩中はその他にも「ヘブライ文字」の暗記をしています。それもヘブライ文字(形状)と、その文字が持っている意味、対応するタロットカードの意味、そしてヘブライ文字カバラ神秘主義生命の樹とは繋がりがあるために、それも関連付けて暗記していく(カバラとしての意味と生命の樹のどこに当たるか)、同時にゲマトリアで用いるような数値が各文字には決められていますが、その数値の暗記、占星術で用いる10大惑星の関連付け、4大要素(火・地・風・水)の対応付け、対応する現代のアルファベット。ひとつのヘブル文字からそれだけのものを想起させていくのです。僕にとっては娯楽であり楽しい作業です。またこれは「ボケ防止」にもなりますし、今後僕が極めたいと思っているヘルメス哲学の基礎にもなりますので、たゆまぬ努力を続けているわけです(この作業は毎日続けています)。

現在紙に書くレベルであればそのすべてを記憶しましたが、歩きながら行うことにより、つまり日常的な行為とジョイントさせることにより、記憶の奥深くまで入っていくのです。空で暗じることも記憶を定着させます。もっとも結構の年数勉強していますから、「そのすべてを暗記した」といっても、あまり自慢にはなりませんけど。

ところで、今日は朝の学習時間にひとつの啓示をもらいました。今日の学習内容の中に「普遍的な愛」という事が書かれていたのです。人は自分の周りの人に対して、ある人には「愛」を感じ、ある人には感じません。愛を感じる相手というのは「気が合う相手」「仲良し仲間」あるいは恋愛や結婚の世界ならば「一生を伴にしたい相手」であったり、また「家族」といった精神的な繋がりがある場合が多く、逆に愛を感じないという場合、その原因はというと、先ほどとは真逆で「気が合わない相手」、酷いものになると「敵愾心」といったものです。この違いはどこから来るんだろうと考えると、自分が所属したり気が合うグループといったような団体とは相容れないような人に対しては「排他主義」になるのだということです。

これでは戦争・争いが起きるのも無理からぬこと。国家が「これは我々の正義を守るための聖戦である!」というようなことを正々堂々と言ってのけるわけです。「戦争」とは政治の道具であり、人間の生命を奪う悲惨なものです。一方、「聖」とは俗を超越したものです。なので「聖」と「戦」がひとつの熟語になっている事自体が理解不能です。

ところが今朝勉強した「普遍的な愛」というのは、すべての人を自分の仲間として受け止めるという愛情です。この愛は男女間の愛情とはまったく違うもので、もっともっと大きな愛情なのですね。これを自分で意識することが精神的な発達の第一歩なのだそうです。

自分が、とにかくオレが、わたしが、あなたは仲間、あいつは敵、と言って、仲間にはやさしく、敵には破滅を・・・では、入り口にも立っていないということです。

この「普遍的な愛」のパワーはとてつもなく強烈なものということです。この愛のチカラを知っていて活用している人は事業に成功しており、知らない人は人生でさほどの大きな業績を残せない人たちです。

僕は今までいろいろな仕事をやって来ましたが、今になって振り返ると、最後の最後で失敗したときは、どこかで「我」を出しすぎていたようです。相手も自分なのです、相手を傷つければ自分も傷つきます。

毎朝のウオーキングでの気付きはとても有効です。そしてとても気持ちがいいです。

KOSEI