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タヴィストックが仕掛けたロシア攻撃

< タヴィストックが仕掛けたロシア攻撃 > 2016/01/15

「タヴィストック」という組織の正式名称は「タヴィストック人間関係研究所」といいます、この組織は以前は超極秘組織だったのですが、元・英国軍事諜報部(MI6)将校、ジョン・コールマン博士の著書によりその存在が明らかにされました。同氏はこの組織の別名を「タヴィストック洗脳研究所」としているほど、タヴィストックは世界中の世論をコントロールしてきたようです。興味のある方はジョン・コールマン博士著「タヴィストック洗脳研究所」をお読み下さい。故太田龍先生の翻訳で成甲書房から出版されています。この本によりますと、「ビートルズ」も「ヒップ・ポップ」もタヴィストックの創造物ということになっています。

 タヴィストックが仕掛けたロシア攻撃/真珠湾攻撃リヒャルト・ゾルゲの出自:タヴィストックが仕掛けた最初の機会は、1905年、日本艦隊による旅順港攻撃です。その結果、ロシア帝国海軍は壊滅的敗北をこうむった。タヴィストックが舞台裏で攻撃計画を練り、ロスチャイルド家資金や婚姻で結びついたウォール街銀行家、ジェイコブ・シフが資金を援助した。

旅順で驚異的な攻撃を受けたロシア艦隊の敗北によって、ヨーロッパのキリスト教社会に暗澹たる空気が漂い始めた。タヴィスットクに指揮され、「300人委員会」の支援を受けたロックフェラー・スタンダード石油財閥が日露戦争を工作した。作戦資金はジェイコブ・シフによってまかなわれたものの、実際には「ロックフェラー一般教育委員会」が出資者だった。この委員会は表向きは黒人教育への財政支援を謳(うた)っている。委員会のプロバガンダや宣伝を担当したのはすべてタヴィストックの社会学者であり、以後、委員会は「ウェリントン・ハウス」と呼ばれた。

1941年、ロックフェラーの別のフロント組織、太平洋問題研究所(IPR)が東京の関連機関に多額の資金を拠出した。その資金はロシアスパイの大立者、リヒャルト・ゾルゲを経て皇族に送られ、日本の真珠湾攻撃工作資金となった。これはルーズヴェルト政権が米国を第二次大戦に引き込む口実を切望したからに他ならない。IPRのすべての文書を起草したのはタヴィストックである。

さてその「ロシアスパイの大立者、リヒャルト・ゾルゲ」の出自に興味深い部分があったので、御存じの方も多いかもしれませんが、ここに書き出してみます。それは「某日本人の孫」というはなし。

その某日本人というのは「長與専斎」という人。緒方洪庵という人が大阪瓦町に蘭学塾である「適適斎塾」というものを開設したが、その門下生であり、この塾には福沢諭吉橋本左内大村益次郎佐野常民、高松凌雲といった錚錚たる顔ぶれ。

さて問題の長與専斎の長男「長與稱吉」は後藤象二郎の娘の延子と結婚するが、その略歴に東京帝大医科大学(現東大医学部)を出て、ドイツミュンヘン大医学部7年間の留学中に現地女性との間に子供を設ける話があるが、その子供が「リヒャルト・ゾルゲ」であると、後述されている。

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