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自分の可能性をどこまでも

中国面白体験記その42<中国語学習その3>

<中国語学習その3>  2016/03/16

まず最初に自分なりの「勉強法」を見つけましょう。CDつきの本を買ってきて文法を勉強して例文を覚えていく、例文をたくさん覚えればいつの日かマスターできる日が来る・・。この考え方は間違っていないと思います。ですがナゼか挫折する人が多いです。そこでスクールへ通って実際の外国人と話をする、という方法に切り替えるわけです。外国語の勉強というと一般的に、「▲■英語スクール」「◆▲中国語教室」といった学校ですね。でも僕から言わせれば通うだけお金が無駄になるだけです。一回ほんの1時間くらいの授業でそれも週に1回ぐらいの頻度で、上達するはずがないのです。ぼくはある程度日常会話ができるようになってきてから、専門の上級クラスでビジネス中国語を学びたくなり、或る夜間の学校(日本・東京都内某所)にクラスを見学に行きました。=ちなみに僕のレベルは現在「中級」です。この「中級」から「上級」への壁を超えるのがひと苦労だとの事=。さてその見学ですが、僕は高度な人たちが習いに来ているのだろうから、教室に通っている人たちと友達になれば得るところも多いはず。そう思い見学に行きました。結果を先に言うと「クソ」みたいなものでした。いえ、中国人の教師はやるべき仕事をやっていました。そのレポートをしますね。

まず教室に一歩入り、「あ、やっぱりここは日本だ」と思ってしまいました。教室には机と椅子が並んでいますが、日本のそういった社会人向けの教室に来る人は、控えめなんですね。控えめとは何のことはない「消極的」の別な表現です。座席の前方2列ぐらいは誰も座っていなくて、3列目ぐらいから後ろに生徒が座っている・・・・。ヤル気がある人間は最前列に行きますよね。

さていよいよ授業が始まりました。僕は一番前に座りました。確かに講義の内容は高度でした。でも後ろの生徒群は一言も話しません(いったい全体キミたちは何しに来たの?)。講師から指されたときだけ、ぼそぼそと小さな声で恥ずかしそうに喋るようですが、聞こえないほどの小声です。それもテキストを見ながらテキストに沿って。そして学校という場所は「わからないから習いに来ている」はずなのに質問が一切出ない!これはどういうことでしょうか?僕は1時間の内に5回も6回も質問をしました。テキストなどは無視です!たしかに授業はすべて中国語で進みますから、基礎が話せない人はついて来られないはず。難しいと思います。でもここは上級クラスのはずでしょう!

つまりすべてが「受身」なんです!自分から何かを発するということをしない!授業は僕の独断場でした。おかげさまで、ただで(無料で)色んな知識を得てしまいました(笑)。他の人間は僕のことを妙な目で見ています。意味がわかりません。人の顔をみているヒマがあったら考えろ!うつけものめが!!集中しろ!授業の内容に!発言しろ!不明点を!お前らは上級クラスに来ている大先輩様たちだろ!?僕との間にコミュニケーションも発生しませんでした。このような教室には死んでも行きません。授業が終わった後、中国人の講師から熱心に入学を勧められました。でも「好的,我考虑一下(わかりましたちょっと考えて見ます)」といって帰って来ましたが、あれきり顔を出してません。もちろん入学する気持ちはまったくありません。同級のボンクラ人間に足を引っ張られる可能性があるためです。日本人が外国語習得能力が低いといわれている原因の一つが、この「奥ゆかしさ」というか「控えめさ」というか「消極的」な性格なのです。外国語会話の学習は机上の学習だけではダメです。会話なんですから話さないと。その際に「はずかしい」といっていたら、前に進みません。間違ってもいいのです。中国人からみたら僕たち日本人は「外国人」なんですから!間違えようが、つかえようが、お構いなしで話していかないと上達はしません。

 ◆話を僕が中国語を練習し始めたときのことに戻します。僕は最初は中国語を覚える気持ちもなかったので、当然ながらまったく話せませんでした。通訳がいたのでその人に任せておけばいいと考えていたのです。ところが1年も経ったころ、やはり環境は人をつくる、というのでしょうか・・・、中国人と直接話ができたらもっと楽しいのではないかと思い始め、毎日終業前の30分間を使って通訳とマンツーマン形式で個人レッスンを始めたのです。しかしそう簡単に一つの言語体系を身につけることはできません。マンツーマンで習っているはずなのにいつまで経っても上達しない気がしてしょうがありませんでした。

そこで!ここでもうひとつの魅力的な学習法です。名づけて「カラオケ・ラーニング」です。カラオケはつまり歌ですから、会話のように上げ下げ(声調)はまったく無視して構いません。ただ舌のトレーニングです(舌ならし)です。というよりも、中国の歌曲が僕の感性に合ったから、というのが本当のところかもしれませんが・・。とにかく僕は歌が好きだったので中国語の歌を覚えることに専念しました。下の写真を見てください。ノートに歌詞を書いてそれを見ながら気持ちよく唄って覚えていくのです。ここでもまた自分だけのノートが大活躍です。

上の写真の大学ノートはもはや原形をとどめていません。セロハンテープで補修しようかとも思ったのですが、時間がたつとその部分が余計汚くなって読みにくくなるので、そのままにしておいたらこの有様。頭に全部入れればいいのでノートはテンポラリーな存在です。さて僕はその当時漢字の歌詞を読むことはできなかったので、カタカナで自分が聞き取れたままを書いていくのです。肝心なことは「自分が聞き取ったままの音を書いていく」ということです。日本で売られているカタカナの振り仮名をつけた中国語の、あのカナをつけてはいけません。なにもなりません!あなたの耳を訓練する目的もあるのですから!一曲マスターするまでは数百回も繰り返し歌います。僕は当時周囲の人とコミュニケーションがとれなかったので時間はふんだんにありましたから。移動中の列車の中でもテープを聞きながら練習です。テープを聴きながら大声で歌うのです。あまりにも大声で歌ったので周囲の人に大ウケされたことがありました。

そして結果的に、これは思わぬ効果を生み出したのです。僕は中国で会社を開いている日本人の社長ということで中国に滞在していたのですが、仕事の話はすべて通訳を通していました。中国人から見れば「あの日本人の社長は中国語はまったく話せない」というもので、確かにこれはまったく本当のことでした。ところが仕事が終わって皆でカラオケに行き、僕が中国語の歌を唄うと、なんと!僕は中国人よりも上手く「中国語の歌を中国語で」歌うのです。オリジナルの歌手の声と質が合っていたこともあるのでしょう、発音も申し分ないそうです。取引先の中国人社長はみんな口をあんぐり開けてビックリしています。一曲終わると大拍手と乾杯の嵐です!もちろん歌詞の意味なぞはまったくわかっていませんでした。そのとき拍手と歓迎の言葉をくれた相手の言っている事も、またよくわからなかったのですが、僕に対して非常に好意的なよい印象を持ってくれたようでした。仕事の流れが順調に動き始めたのも無理ないことだったのです。このようにして僕は中国で自分のポジションを高めて行きました。

「自分の得意なことを中国語と絡めていって中国に入っていく」ということですが、これはなかなか面白い方法だと思います。

上の写真の右側にあるテープは当時僕が聞いていたテープで何回も何回も聴きました。歌手の名前は「張学友」です。このテープを見ていると当時の楽しい思い出や苦しい思い出がよみがえってきて思わず泣けてきます。写真左のウォークマンはイメージです。このような物で聴いていたという・・・。この写真のウォークマンはだいぶ後で買ったもので、あの当時使っていた機械はとうの昔に壊れているからです。

この曲です:http://www.666ccc.com/play/5/175356.htm

いまや僕の中国語のレパートリーはだいぶ増えていますよ。日常会話のスキルとリンクしているので、日常会話能力が上がれば中国語の歌もうまくなります。さらに以前のように何百回も聴く必要はなくなりました。基礎力がついてきたからです。

*肝心な教材と勉強法を忘れていました。それは「NHK中国語講座」です。僕もずいぶんお世話になりました。次回のブログでご紹介します。

KOSEI