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自分の可能性をどこまでも

自分の人生を変えていく術 その 3

Dr. M Doreal 白朋誌_433号-3

 

自分の人生を変えていく術 その3

 

神との個人的同調

M・ドーリル博士 原述その3

 

>> 別の障害は「未制御の欲求」である。

あなたの欲求は、あなたを超越した方にのみあるべきである。

我々が沈滞と霊的な死から逃れるのは、意識運動を進める事によってのみなのである。

「あなたの欲求が、あなたを超越した方にのみなければならない」とは、変な言い方に思えるかも知れない。

もし、あなたが努力なしに得る事ができる事のみを望んでいると、あなたは間もなく自分が、人生の限界内においてのみ動いている事に、気付くとは思いませんか。

我々は到達不可能と思われる事に向かって努力する事によって成長するのである。

我々が望めば到達できない事など一つもないのである。

或る年の9月に私が、デンバーを離れて東洋に行った時、人々に私がデンバーに帰って来た時には、立派な教会ができているだろうと言った事を思い出す。

誰もそれを信じなかった。

と言うのは、その時点で教会は、とても得られそうにもなかったからである。

しかし、我々はその教会を得たのである。

私はそれを得ると言う意識・想念以外のものは持たなかったのである。

私が理想と目標とを持ったから、皆さんに一例として、私が帰ってくる迄に教会(鉄筋三階建、デンバー市内の旧本部)が供されると言ったのである。

それは、立派なものであった。

私は、それについて国際電話を掛けて言った「もし、それが我々の得るべき物なら、推し進めて準備しなさい」

彼らは、やろうとして、この世のあらゆる困難に直面した。

ついに彼らは電話してきた「非常に多くの問題が起こって、我々はこれを得られるとは思いません」

そこで、私は言った「よろしい。それを解き放ちなさい」

それから2~3週間の後、何かが非常にうまくいった事を見出し、あらゆる面で起きた障害について決して思わないようになり、我々は教会を手にした。

それは、誰もが不可能だと言っていた事である。我々の人生のあらゆる出来事についても、同様なのである。

私がその成就について何らの疑いも持たずに一貫して進んだから、あらゆる道・チャンネルが開け、それを丁度よい時に入手できたのである。

しばしば為している失敗の一つは、それについてあまりにも早急に結果を出そうとし、あまりにも多くやり過ぎ、理想その他がなくなってしまい、時には理想よりも若干劣るものを欲するようになる事である。

そして、自分が欲するものが得られないのではないかと恐れの余り、本来自分の満足していないものをつかんでしまい、そして、いつも決まってそれから後に、それよりも良いものが我々の前に供されるのではなかろうか。

これが、人生のあらゆる事についての真実である。

我々は自己の理想・完成せるものよりも、より劣ったものを受け入れる事によって、その理想の強さを弱めているのである。

もし、我々が完全よりも劣るものを受け入れようと思うと、自己の人生におおいて完全表現よりも劣るものを直ぐに見出すのである。

別の事は、東洋では「実在」と呼ばれるものについてである。

究極的には、実在のみしか存在しないのである。

それは神である。

他の全ては、幻である。

人間は物についての自己の概念の中に沈潜しているのである。

だから、正しい概念を抱く事が、最も重要な事である。

と言うのは、あなたがあなた自身の心の中に創り出す概念・理想・目標が、今のあなたの周りの人生の諸状況だからである。

古代カバラの哲学者の一人が、かつて次のように言った「人間の内には、完全なる人間の原型がある。しかし、人間がこの完全な人間を自分自身の不均衡・諸欲求・諸理想・諸目的のベールで包んでいるから、完全な人間の顕現を妨げているのである。」

もし、我々が完全にして、より完全な理想を組み立て始めさえすれば、我々が完全のより大なる意識を得るのだから、自己の理想の完全を増加せしめ得るのである。

もし、我々がこの完全のみ求め、その代用となるものを受け入れなければ幻(マーヤ)の覆い(ベール)が消えて、実在が現れるのを見出すであろう。

肉体的弱さは、障害ではない。

肉体に打ち勝つ意志で、霊が肉を超越し得るのである。

非常に多くの人々は何らかの肉体的不調和・弱さがあったら、霊的理想を持つ事ができないと思っている。

そのような信念は誤りである。

物質肉体は完全となすべきであり、完全となり得る事は真実であるが、そこに霊的な力・能力が流れ入らない限り、どうして物質肉体が完全となり得ようか。

そして、その霊力は我々が内なる理想状態を求めない限り、やって来る事ができないのである。

霊的滋養の同化過程は物的エネルギーをまったく消費しない。

そして、霊的発達は、肉体が苦しんでいる間でさえも続け得る。

飢えや肉体の苦行が霊的経験を観応させるとの仮定は、知識と均衡の欠如による全くの誤った信念なのである。

脳意識に印象される霊経験の為の正しい時がやって来た時、肉体は邪魔にはならない。

それは肉体の弱さや強さの問題ではない。

印度の行者達は、釘を打ち並べたベッド等で自分自身の肉体を苦しめ、肉体を支配することを求めている。

しかし、彼らのそのような方法だけでは霊的経験を得る事ができない。

そして、また肉体の弱さは霊的経験を妨げる事はない。

と言うのは、霊的な経験はあらゆる物的なものを超越しているからである。

別の事は「霊的な生命と愛とは、使う事によってなくなる事はない」である。

消費する事により、より豊かになり、より強さを増すのである。

霊的経験つまり霊的な力・機能の使用によっては、物質肉体を弱めたり消費したりはしないのである。

強さは、あなたがそれを表現すればする程得られるのである。

別の事は「満足」である。

できるだけ幸福であり、満足しているように、としなさい。

と言うのは、喜びの中にのみ霊的生命を見出す事ができるからである。

悲しみは、無知と清明な思考の欠如から来るのである。

ほとんどの人々は不幸であり、不満足である。

なぜであろうか?

と言うのは、彼らの不平不満はそれ自体が不均衡であり、それが普遍的な不満を起こしているのだと言う事を学んでいないからである。

だから、状況の如何にかかわらず、それに対して非個人的態度を保持しなさい。

いつだろうと「もし、私がこの状況を抜け出したら」と言ってはならない。

何も言ってはならない。

理想を保持しなさい。

すると、あなたはその状況から上昇するだろう。

あなたの心の中に、いつも理想を保持していなさい。

この方法によってのみ、あなたは上昇できるのである。

 

433号-3

自分の人生を変えていく術 その3

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へ続く