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自分の人生を変えていく術 その2

自分の人生を変えていく術 その2

白朋誌 433号-2

 

 

神との個人的同調 -2

M・ドーリル博士 原述その2

 

●次の障害は「憎しみ」である。

我々は、どんな人もどんなものも憎んではならない。

憎むことによって、我々は自分自身を不調和で不秩序な人生と同調させ、神からより遠くへと引き離されて行くのである。

我々が自分自身の内に保持しようと努めている理想意識の内には、憎しみの入る余地はないのである。

神々との同調を求めている者は、次のようなことができる。

それは、旧約聖書の中には「神が或る種族、この種族を憎む」と書いてあるが、自己の本性の中では、憎みなしにいることができるのである。

神は、そのその真の非個人性の故に、真に神であるが故に、自己の創造物の何物をも憎まないのである。

もし、神が一瞬だろうと何かを憎んだら、そのものは存在化しなくなる。

と言うのは、ものが存在化しているのは、神がそれを愛しているからなのである。

それらの者達が失落した度合いに係らずである。

もし、神が全てであり、我々の魂が神の中にあるのなら、恐れるべきものに何があろうか。

もし、神が全てであり、我々の魂が神の中にあるのなら、恐れるべきものに何があろうか。

恐怖心は神からの分離意識を持った者のみが持つのである。

我々が自己の理想と諸行為とによって神へとより近づいた時、我々はより強くなる。

或るグルが、或る時私に「天の国には、全く恐怖がない」と言った。

なぜ、人々は物事を怖れるのだろうか。それは、彼自身の内と潜在心との中に、自分は霊・神と調和して顕現していないと気付いているからである。

人は理想を持たないから、未知のものを恐れるのである。

死が未知であるから、人は死を恐れるのである。

だが、神が存在の全てであれば、我々の霊、我々の意識、我々の魂は、神の部分である。

もし、我々が「私は父におり、父は私におり、あなた方は私におり、全ては一である」というイエスの真理を悟ると、そこにある恐れとは、何であろうか。

旧約聖書詩篇に次のようにあることを思い出しなさい。

「私は、如何なる悪も恐れない。と言うのは、あなたが私と共にあるからである。あなたは私を支える私の棒であり、杖である。」

それでも人々は恐れるのである。

と言うのは、人々は神を知らないからである。

人が恐れるのは、彼らが神から離れているからであり、彼が理想を持たないからであり、神との同調と言う意識的目標すら持たないからである。

それから、私が神と言う語を使う時、私がアラー、梵、マニト(アメリカインディアンの語)という時と何ら相違はないのである。

これらは、全て神霊の表現に、人が適用した用語にすぎないのである。

人生において、我々が学ばねばならない別の事は「敵」と言う言葉のもとに定義付けられる人々に対して適切な態度を、保持すると言う事である。我々の持つ事のできる唯一の敵は、我々自身なのである。

敵とは、我々自身の心の中での神に対する意識の欠如なのである。

この世には、我々を憎んでいる人々がいるだろう。

そして、彼らは我々を敵と思っている事だろう。

しかし、彼らは我々の敵ではないのである。

というのは、暗黒は光を憎む。しかし、光は暗黒を憎まないからである。

光は、それがどの様なものだろうと、全てのものを愛するのである。

エスが「悪に抗するな」と言われた時、彼は無抵抗の法則を言い表したのである。

と言うのは、もし誰かが我々を敵と考え、悪とネガティブの想念を我々に向け、我々を物的・心的・霊的に傷つけようとしても、我々が、我々自身の心の中に、彼らへの完全で聖なる愛のみを持っていたら、彼らの言う事が何だろうと、彼らのなす事が何だろうと、我々には決して触れ得ないと言う事は真実だからである。

それらは、決して我々の心に入り込む事はできないし、我々に影響を与えられない。

と言うのは、我々が聖調和の意識を持っている時、他の人々が送り出した悪は、彼らに逆に向かって行き、その送り出した者を滅ぼすだけだからである。

これに対し、もし我々が悪に対して悪で報い、憎しみに対して憎しみで報いると、我々は燃えている火に油を注ぐ事になるのである。

私は聖書に「完全な愛は、あらゆる恐怖を追い出す」とある記述を思い出す。しかし、我々が理想・目標を設定せずして、どうして我々の心の内に完全な愛を創り始める事ができようか。

 

●我々の道における別の障害は [ 心的不調和 ]である。

心的調和を得る唯一の方法は、心に入る想念やあらゆる状況に対して非個人的、

非利己的態度を示そうと決心する事である。

と言うのは、我々が何かの状況や物を個人的に受け入れる程、それがより多く我々に反応して来るからである。

私は、人々の心が乱され、自分自身が落胆の状態に陥るような状況で、起こる最初の想念はいつもネガティブで不調和で破壊的なものである事を見出すのである。

私自身の体験でも、誰かが電話を掛けて来て、次のように言うのを如何に多く聞いた事か「私は悩み苦しんでいます。私は自殺しようかと思っています。私は自分自身を滅します。」

なぜであろうか?

それはネガティブで不調和な想念が暗黒の中に我々を深く導いているからである。しかし、私は次のように言うのである。今までに、私に自殺しますと言って自殺した人は一人もいない。

あなたは、大人気なさと若干の不調和とに気付くだろう。

それが心に大きく残っていて、別の想念が、もう入らなくなるのである。

だから、理想を創り上げなさい。

如何なる不調和想念も斥けなさい。

起こって来るあらゆる問題、あらゆる事に対して絶対的非個人的態度を取りなさい。

すると、あなたは間もなく、その問題がなくなっている事に気付くだろう。

私は皆さんに、次の事を言おう。

私は、自分自身の経験から、解決できない問題はひとつも見出すことができなかった。

私は、私が接した数千人の人々の内の99%の人々によりも多くの問題に行き当って来たが、それを前述のようにする事で、全て解決できたのである。

 

自分の人生を変えていく術 その2

神との個人的同調 その2 終

神との個人的同調 その3 に続く