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クルト・ヨゼフ・ワルトハイム

 

クルト・ヨゼフ・ワルトハイムって誰?

1972年に第4代国連事務総長に就任し、2期10年務めた人。ただし問題は・・・この人は第2次大戦中に、なんと、ナチス・ドイツの将校だったのです。

かつてのナチス将校が国連事務総長とは!おまけにこのクルトハイム氏は母国オーストリアの大統領にも当選したのですね。1986年に大統領選挙に立候補した際、第2次大戦中にナチス・ドイツの将校だった事実が判明しています。そのため選挙には当選したものの、米国が入国禁止措置を取るなどで、外国訪問の機会や要人来訪がほとんどなく、オーストリアの外交的孤立を招いたのです。その後同氏は2007年6月14日に、心不全のためウィーンで死去しました。享年88歳でした。

クルト・ヨゼフ・ワルトハイム氏略歴

1918年にオーストリア南部に生まれる。青年時代はナチ学生同盟を経て突撃隊に入隊。戦争勃発後は、国防軍に徴兵され、ロシア戦線で負傷。

復帰後の1943年頃に、E軍集団に配属され、ユーゴスラビアに情報将校として赴任する。その地で、戦犯として処刑されたレール将軍の部下として、パルチザンの掃討作戦に従事した。悪名高いバーダー戦闘集団の連絡将校となり、コザラ虐殺にも関与したとされる。その後ギリシャにおいて、ユダヤ人の強制移送作戦を指揮。

終戦後にワルトハイム氏は、オーストリアのケルンテルン州で、イギリス軍に降伏しましたが、ナゼか戦争犯罪を追及されることもなく、その後オーストリア外務省に入省。

さて戦争犯罪を追及されなかった理由ですが・・・・・、

当時OSS(戦略情報局-CIAの前身)のアレン・ダレス長官は、戦後利用できそうな人材を戦犯リストから外す作業を行っていましたが、このワルトハイム氏は、そのキャリアを通してソ連諜報部と関係があった形跡があり、利用価値があると判断されたためではないかと思われます。

このように米ソの陰からのバックアップがあればこそでしょうね。

 

ナチス将校の亡霊を払拭するために「ツィゴイネルワイゼン」でも聴いて気分を換えてください。僕は気分を換えたいときはこの曲を聞きます。

https://www.youtube.com/watch?v=FBQr6ryEorg

 

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